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2007-09-20 14:25
『新・戦争論』--本書は戦争史の壮大なオデッセイである
猫田 信二
団体役員
伊藤憲一氏の『新・戦争論』(新潮新書)が発刊されたことを知り、早速一読したが、予想もしなかった大きな知的衝撃を受けている。今後、本書は言論空間のターニング・ポイントになると確信するが、その理由は、以下のとおりである。
われわれは戦争を人類のDNAがもたらした避けることのできない災害であると考えてきたが、本書は「生理現象」である紛争と「社会現象」である戦争を区別することによって、戦争を避けることが可能になったとし、現代を「戦争を産み出してきた社会的諸条件が急速に無効化されつつある時代」であるとして、「不戦時代」と呼ぶ。本書は、約1万年前の戦争の発生とその後の累次の武器革命のなかでの戦争の発達をいわば腑分けした上で、いよいよ「不戦時代」が視野に入ってきた現代までを、まるで手塚治虫の「火の鳥」のような視座で眺望し、日本の選択を見事に導き出してみせている。
読み進むにつれ、当初大げさに思えた「人類の歴史が始まって以来最大かつ最重要の変化がいまこの地球上で起こりつつあります」という冒頭のメッセージが次第に説得力を増してくるようになった。
本書の主張する「積極的平和主義への提言」であるが、われわれに中立という逃げ場を許さない厳しい覚悟と姿勢を要求していることを見逃してはならない。「世界システムが急速に国内政治システム化している」ことを認識すれば、テロなどの「新しい戦争」は「戦争」なのではなく、「紛争」なのであるから、それへの対応は従来の「戦争」への対応とは明確に区別された対応でなければならなくなる、との主張には説得力がある。ここまで順を追って読み進めてきて、初めて理解できる主張でもある。
これまでの戦争論は、軍事戦略論であったり、英雄物語であったり、時局解説であったりで、ここまで大局的に、かつ理路整然と分析された戦争論はなかった。人類発祥の時点と地点から説き起こす戦争史観の本書は、論というより、実は戦争史の壮大なオデッセイだったのである。
グローバリゼーションによりヒト・モノ・カネが自由に動き、その結果「不戦時代」が到来した現在、人間の思想だけがでんと居座って動かない、というのはおかしな話ではないだろうか。「火の鳥」はその警告のため地上に舞い降りたのだ。本書が上梓された以上は、今後『新・戦争論』を読まずして戦争を論ずることは許されないであろう。
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