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2019-10-15 14:43
ラグビーW杯に見る日本人観の変化
赤峰 和彦
自営業
チェリーブロッサムズの愛称で親しまれるラグビーの日本代表が初戦を突破したその翌日の朝日新聞に「多国籍ジャパン 先発8人が外国出身」との見出しで記事が掲載され、同社に非難が殺到しました。記事の内容は日本応援を装っているのですが、編集者は日本代表の活躍を素直に喜べなかったようです。編集者には、朝日新聞特有の日本へのネガティブな感情があるのはもちろんなのですが、同時に「多国籍ジャパン」と名付けて排他的な感情を無意識に露呈してしまいました。普段、外国人への差別を糺している朝日新聞が、実はそれは建前であるかのような記事を出しては、本当は社内に差別意識が蔓延しているのではないかと疑わざるを得ません。朝日新聞の価値観は標榜するそれとは実のところ異なるのではないでしょうか。
他方、多くの日本人の間では、人種としての日本人に対する考え方が変わろうとしています。これは外国人と日本人の間に生まれたハーフの選手や、日本国籍を取得したスポーツマンの活躍によるところが大きいと思います。かつて、広島カープで活躍した鉄人の故衣笠祥雄氏は黒人の血が混じっているとして偏見の目で見られたこともありました。筆者の小学生時代には、混血児を「合いの子」として蔑む風潮があったくらいです。しかし、現在は、多くのハーフの選手が活躍し、世間の認識を一変させました。彼らは、卓越した才能を示すことで、人種を理由として不当に評価されることなく、尊敬と称賛を得ているのです。彼らが積み重ねてきた活躍は、日本人の日本人観に革新的な変化をもたらしました。
とはいえ、未だに人種としての日本人論を説き他人種や他民族と比較して日本人の優越性を強調する意見はなお散見されます。この考えはナチス・ドイツの思想に通底する考え方です。劣等感が強い人が陥りがちな考え方で、優越感に浸ることで満足を得ようとする不健全な精神性向です。しかし、日本人が世界の人から評価されるのは決して人種的な要素ではないことを私たちは改めて確認すべきだと思います。これまでの人種的日本人観は、徳川幕府の鎖国政策によって外国人と日本人を分け隔てたことによります。しかし、大和国家が成立した頃は人種的には多様であったと見られ、また飛鳥時代にはペルシャ人が官僚であったという記録があるほど、日本人は人種に寛容であったと思われます。古代の日本は、意外と人種の坩堝であったのかもしれません。
今回のラグビー・ワールドカップでは、リーチ・マイケル主将に代表される海外出身の桜の戦士たちが、日本人以上に日本人の心を持っているように筆者は感じます。彼らが「君が代」の意味をよく理解しているのもその一つの事例です。異なる国籍ではあっても、心を通わせ互いの文化伝統をよく理解することによって、人種によって分け隔てる考え方が自然となくなることを、ラグビーのワールドカップは教えてくれているように思います。ラブビー・ワールドカップはまさに「美しい調和」を意味する令和元年の幕開けにふさわしいイベントだと感じます。
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