ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2007-06-06 22:39
憲法はどうしても改正しなければならないのか
矢ケ崎秀則
大学教授
国民投票法案の可決とともに、憲法改正への道筋は、大きな一歩を踏み出した。イラク戦争、北朝鮮の核の脅威、中国の軍事力の増大など、日本をとりまく国際情勢の現実は、現行憲法の理想と大きくかけはなれている。だが、憲法と現実との乖離は近年にはじまったものではない。敗戦という特殊な状況の下でつくられた現行憲法は、成立とともに大きなジレンマに遭遇せざるをえなくなった。1950年の韓国動乱をはじめ、ベトナム戦争など、現実の国際政治は、憲法の理念をあざ笑うかのように、力の冷厳さを示してきた。
それにもかかわらず、憲法は60年の長きにわたって変えられることなく、今日まで、続いてきたのである。それを、この憲法があったからこそ、日本は平和でいられたなどと手放しでいえたものではない。日米安保条約という力の保障があったからこそ、平和が維持できたのである。だが、このあまりにも非現実的な憲法9条ではあるが、はたして、いい点はないのだろか。この憲法前文はじめ、第9条の精神は、人類の進むべき普遍的理想を明確に示している。その面において、近隣諸国のみならず、世界に向けて、日本がアピールできる内容をもっているのである。かって、日本が薩長土肥などと藩単位での争いから、統一日本に向かったように、世界もやがては、国単位の争いから、世界政府の方向性へと向かうであろう。
そして、そのプロセスにおいてECのような地域共同体が形成されるとするならば、東アジア共同体も、たとえ多くの問題を内包しているとはいえ、歴史の方向性を示していると言ってもいいだろう。日本が「普通の国」になろうとして、憲法を変えることが、近隣諸国の大きな不安要因になり、相互不信、軍備の拡大に拍車をかけ、共同体の形成の阻害要因になるとしたら、必ずしも賢明な選択とはいえないであろう。何がなんでも、憲法改正だとし、そのために国内外に膨大なエネルギーを費やしながら突進するよりも、長期的展望に立ち、この憲法を生かしながら、そのエネルギーを近隣諸国との協調と共同体の形成に向けて転化することも、一つの道ではなかろうか。
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
一覧へ戻る
総論稿数:5601本
公益財団法人
日本国際フォーラム