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2016-06-17 11:15
舛添問題は何をもたらしたのか
赤峰 和彦
自営業
舛添東京都知事が6月21日に辞職することになりました。週刊誌の舛添批判記事をきっかけに、報道各社が連日、舛添問題をセンセーショナルに報じたことは、周知のとおりです。全体主義、あるいは、排外的な政治概念を表す言葉に「ファシズム」があります。ファシズムは、語源的には、ファッション(流行)や、「ある方向への強制力を秘めた導き」という意味があります。知事問題では「報道によるファシズム」として、舛添叩きが横行したと言えます。また、世論にはそれを楽しむ風情があったことも否めません。
この原因は、マスコミの報道姿勢に帰着します。報道各社は都議会の委員会を競うように中継し、ことごとく解説を加え、批判を煽り立てました。国会中継すらしない民放の力の入れ具合は一体何なのでしょうか。週刊誌記事は、人の持っている劣情を煽ることで売り上げを伸ばそうとしますが、テレビ局はそれに輪をかけて、視聴者の嫉妬、攻撃、排斥、裁きという感情を導き出そうとしていました。テレビ関係者は報道の名のもとに自分たちに内在する感情をそのまま垂れ流していたのです。こうして出来上がった風潮は、かつてナチスのヒトラーを生んだり、大統領候補のトランプ氏を応援する狂信的な人たちを発生させたことと通じるものがあります。マスコミに誘導された世論の行き着く先はファシズムへの道となりかねないのです。戦前、朝日新聞が国民を戦争の道に駆り立てた手法と同一のものです。これでは、舛添問題をワイド・ショー化させ、国民を愚民化に導くことになりかねません。
都議会各会派は大上段に構えて舛添批判を行っていましたが、彼らとて舛添氏と同様、政治資金を正当に使っているわけではありません。地方議員の殆どは、政治資金を「第二の財布」「自分の金」と思っています。したがって、舛添氏を追及する議員たちは、天に唾をしていないかどうかを問われることになります。知事の辞任で決着をつけたつもりになっていますが、議員や議会の浄化の機会を逃したことを見過ごしてはならないのです。逆説的にいえば、舛添氏を衆目監視の「針のむしろ」の中で知事の職務を全うさせることで、東京オリンピックがまれにみる清潔なスポーツの祭典となる可能性もあったのです。全都民が厳しい監視をする中での都政となれば、舛添氏は間違いなく良い仕事をしなければならなくなったはずなのです。しかも、舛添氏が知事報酬を受け取らないで職務に就くことで、他の都議の不正やごまかしが無くなり、同時に日本中の地方議員が襟を正すきっかけとなったかもしれないのです。
辞任で片付けるだけでは、議員は不正がバレないようにするだけになり、風紀の乱れが正される機会は失われてしまいます。舛添問題での派手な各社の報道ぶりを見て、「これで風前の灯であった業界の延命につながった」と評した人もいましたが、舛添問題は、物事の本質を見失ったジャーナリズムの見識の低さを露呈した事件でもあったと思います。
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