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2007-03-06 14:10
近隣アジア政策の評点は精々四十点也
岡本幸治
大阪国際大学名誉教授
関西のアジア問題専門家が中心となり、意識の高い一般市民を会員とした「二十一世紀日本アジア協会(日亜協会)」が大阪で月例会を開いて十年余りになる。講師に対する質疑のあとで、有志が侃々諤々の議論を二次会においても続けることが習わしになっているが、小泉政権終了までの二十年ばかりを振り返って日本の近隣アジア政策に点数をつけるとすれば何点になるかという端的な質問があった。外交や国際政治といえば目先の変化につい目を奪われがちであるが、時々立ち止まって大局的な観点から比較的長い時間軸で物事を見直すのは、「ビジネス(多忙)社会」の現代人には必要なことである。
大学では答案の合否ラインは六十点。それを基準にすると、僕の採点は精々四十点の不可。小泉首相の靖国参拝は七十点の良。参拝の仕方も参拝理由の説明も姑息。国家のために献身した人々に対し、首相が国民を代表して慰霊の誠を尽くすという本義を回避して、個人の心の問題だなどという言い訳をしたのは姑息というほかない。しかし参拝をやり続けたことが、相手の焦りを誘い安倍首相の早期首脳会談を可能にした隠れた功績は大である。それにしては近隣アジア政策の総合評価が四十点と低いのはどうしてか、と問われて話したことを以下に記す。
大東亜戦争(太平洋戦争というのは神道指令で使用を命じられた米国用語である!)で迷惑や負担をかけたというので、戦後の日本は低姿勢でアジアとの間に安定した関係を築こうと努力してきた。中韓に対してはとくに気を遣って、政府資金・民間資金の供与や投資・技術移転などを積極的に行った。中国に供与したODAだけでも三兆円を超え、インフラ整備をはじめとして中国の経済発展に大きく貢献したことは疑いがない。
ところがこの二十年ばかり、中国も韓国も首相の靖国参拝や歴史認識問題を対日外交カードとして、厳しい対日批判を行うようになった。それに先立つ時代、つまり毛沢東時代の中国や軍政期の韓国にはこのような内政干渉を行うことはなかったのに、なぜこれ以降居丈高な外交姿勢に変化したのかを知るためには、両国で八〇年代半ばに起きた内政変化を押さえておく必要がある。簡単に言えば、中国では経済開放政策(資本主義への道)を巡って改革派・守旧派の内部闘争が行われ、守旧派(社会主義派)が改革派(親日派)の足を引っ張ろうとしたこと、韓国では民主化が始まって政府批判が公然と行われるようになったので、政府が対日強硬姿勢によるガス抜きと政権浮揚を図ったことが理由である。八〇年代に長期衰退過程に入りつつあった日本国内の左翼・革新勢力が、外圧引き入れによる政府批判のために、これに飛びついた。つまりそれぞれの国内問題に過ぎなかったものが、日本政府(政治家と外務官僚)の安易な謝罪外交、別名「ひたすら波風たてない主義」のために、外交の構造問題に転化させでしまったのである(詳しくは、岡本『なぜ日本人は謝り続けるのか』致知出版社、第一章参照)。お偉い将軍様が日本人拉致を認めた北朝鮮も、日本の弱腰外交を見抜いて「拉致問題は解決済み」と称している。日本は米国の忠犬ポチ、放っておいても米朝交渉の結果に追随してくると読んでいる。
中韓に対しせっせと経済援助や技術移転をすれば対日宥和政策をとるに違いないという我が国指導層の思いこみは、相手にタダで外交カードを与えただけで見事に破綻したのだ。中韓は日本の常任理事国入りにも反対した。親日的であったはずの東南アジアまでこの点で中国の意向に従っている。費用対効果という観点で近隣アジア外交政策を診断すれば、友好のため莫大な金を使った割には効果が全く上がっていないことは明らかである。親日的な台湾に対しては、中国に過剰な配慮をして冷たくあしらい、根っからの親日派をいたく失望させる結果を招いたし、これまた親日的なインドの重要性認識においては、近隣対策にかまけてたっぷり十年は遅れをとったのだ(岡本『インド世界を読む』創成社新書、V部参照)。この背後には、経済援助をすれば途上国はついて来るという思い上がり、もしくは経済至上主義的価値観による誤断があったのではないか。安倍新政権はこの点でも「構造改革」を推進すべき課題を抱えている。例えば台湾政策に関し、安倍政権の「主張する外交」はどんな新味を見せるのか、注目したい。
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