加えて、時期尚早な理由を挙げれば、戦闘行為の開始と継続、限界を定めた部隊行動基準(Rule of Engagement)が、安保法制を受けてまだ策定されていない。またゲリラが設置する路肩爆弾(IED)専用車や路肩爆弾の効力を失わさせる専門官育成など、装備面での態勢確立も必要だ。さらに最も重要な点は「政治の判断」をどこで織り込むかである。他国のように「気楽」に派遣できる政治状況に日本はない。国民が「戦死」に慣らされていないからだ。日本の場合は、現地の司令官は「戦闘行動に入ってもよいかどうか」の最終的許可を首相官邸に求めざるを得ないだろう。政局直撃マターであるからだ。そうなれば「殉職」の責任はすべて首相にかかってしまう。こう見てくると、安保法制は成立したが、参院選を来夏に控え、場合によってはダブル選挙もあり得るし、総選挙単独でも来年中か再来年には断行される状況下において、「南スーダンでの殉死」は政策判断としてノーテンキすぎる。繰り返すが、政府・与党は自民党議席を直撃する政治判断は下すべきでない。安倍を経済・外交に専念させるべきであり、有り体に言えば、山積する重要課題に「南スーダン」が入り込む余地はない。防衛相・中谷元が「これからしっかり準備をし、検討をした上で、 判断をしていくわけで、このような新しい任務の遂行に関しては、慎重に十分に検討をした上で実施をしたいと考えている」と述べている判断が正しい。まだ少なくとも5年は早い。