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2015-07-07 05:49
勝負あった平成の大安保論争
杉浦 正章
政治評論家
7月6日付の朝日歌壇に「アジビラのない大学の掲示板ベンチで天下国家が欠伸(あくび)す」とあった。国会は安保法制をめぐって緊迫の度を強めているが、大学構内はこんなものだ。全学連が主軸となった60年安保では6月の騒動を経て岸信介は7月15日に総辞職しているが、いま“政局”はない。安保法制に与野党激突はあっても、国民を巻き込んだ一大運動に発展する要素はない。それにつけても国会論議は聞けば聞くほど、野党の訴求力のなさが鮮明になった。論戦終盤では首相・安倍晋三が「韓信の股くぐり」を繰り返し、よく我慢が続いた。終いには共産党の赤嶺政賢の股まで低姿勢でくぐった。こればかりはよほどの信念がなければできないことだろう。信念とは安保法制なしに国家国民の安寧は得られないという確固とした決意だ。もう股くぐりはいい。論点も出尽くした。その決意を果たすべき時がいよいよ到来した。来週は不退転で大勝負の時だ。筆者はカワセミ撮影に熱中して熱中症になり、熱中症ごときで世紀の安保法制劇を見逃してたまるかと焦ったが、医者がくれたのは胃薬。2日で治った。初日がきつかったため1週間休筆を宣言したが、早く治ったことがばれたら、熱心な読者から「書け」と言われるから、病気のふりをしようと決め込んだ(^O^)。しかし遊び方を知らぬ貧乏性、結局政治情勢分析に明け暮れた。
国会は60年安保以来の安保論争を展開したが、肝心の集団的自衛権の是非で民主党の腰が定まらず、勢い憲法学者の反対論を頼った。もっぱら大向こううけを狙って自民党のマスコミ批判など疝気筋の論議ばかり追及した。本筋の安保法制の是非は安倍の「精緻すぎる」答弁に追及の隙を見つけられず、ここに来て平成最大の安保論争で野党の敗色が決定的になった。野党の敗因の第1は、民主党にある。民主党は「安倍政権の集団的自衛権の行使は容認しない」方針を決めたが、肝心の行使自体への賛否が出来ないまま論戦に臨んだ。党内右派は行使に賛成であり、詰めれば党が割れるからだ。安保改定で社会党が打ち出した真っ向から反対、いわば捨て身の反対とはほど遠い対応しか出来なかった。勢い論議は「重箱の隅」をつつく形となった。終いには自他共に“許さない”「論客」後藤祐一が「何で他国の掃海艇で掃海できないのか」と安倍を追及するという、ノーテンキ丸出しの質問を繰り返す始末。ホルムズ海峡は日本のタンカーの80%が通過しており、その海峡の封鎖解除を他国に頼める国際環境ではなくなったことくらい中学生でも知っている。総じて集団的自衛権の行使反対に踏み切れないから、その論拠にすごみがなく、55年前の「アンポハンタイ」の亜流でしかなかった。その証拠に民主、共産、社民各党は「アメリカの戦争に巻き込まれる」論を安保闘争と同様に主張したが、このレッテル張りはこれまで戦争に巻き込まれなかった事で立証済みであり、日本の外交はそれほどヤワではない事の左証だ。
その証明が72年政府見解で集団的自衛権の行使を容認しなかったことであろう。ベトナム戦争の最中であり、米国は日本の軍事力に目を向けたが、これを察知した佐藤政権は集団的自衛権の行使容認を憲法上認められないという“解釈”を作って、すり抜けた。当時の永田町の常識である。ひたすらベトナム戦争に巻き込まれることを回避するためであった。佐藤政権の「狡猾なる」対応でアメリカは日本巻き込みを断念せざるを得なかったのだ。当時の内閣法制局長官も内閣の方針通りに憲法を解釈するのが仕事であり、「出来ない」としたのは三百代言たるゆえんである。したがって前元法制局長官の解釈を「鬼の首でも取ったように」民主党が主張しても無駄だ。三百代言だからしょっちゅう変わるのだ。こうして、最近ではもっぱら仏壇からはたきをかけて持ち出したような憲法学者の憲法違反論だけが頼りとなり、野党は学者大先生の憲法違反発言を金科玉条として追及したが、もはや限界露呈だ。国際環境の激変を知らず、時代遅れの「象牙の塔」で浮き世離れした日々を過ごす大先生とは暗愚大王の別称かと思いたくなる。
テレビで国連の基盤となる「集団安全保障」と集団的自衛権を混同して「国際法にも詳しい」と宣うた慶応の大先生がいたが、まあ大先生たちは床屋談義に毛の生えた程度の知識しかないのだろう。そもそも憲法の違憲判断は最高裁の専権事項であり、“床屋談義教授”などの出る幕ではない。その大先生が「米艦艇への攻撃をわが国への攻撃の『着手』と受け取り、個別的自衛権で対処出来る」と仰せられたためか、こんどは民主党は、朝鮮半島有事でアメリカ軍の艦船が公海上で攻撃された際の対応について「アメリカ軍の艦艇に対する防護が『個別的自衛権の行使で可能だ』と主張する方もいる」と安倍に噛みついた。これに対して安倍は、「公海上でアメリカの艦艇に対する武力攻撃が発生したからといって、それだけで、わが国に対する武力攻撃の発生と認定できるわけではない。法理としては排除されないが、実際上は、わが国への武力攻撃の着手と認定するのは難しい。一般には集団的自衛権の行使と見なされる」と明快に反論。“浮き世離れ”からの入れ知恵も「法理としては排除されない」とやんわりいなされてはどうしようもない。
突然発生した「報道への威圧」論は、朝日、毎日、東京、沖縄2紙などウルトラ・リベラルメディアがここを先途(せんど)と書き立てた。民主党は最後のチャンスとばかりに飛び乗って、安倍を責め立てたが、名前も聞いたことのない一陣笠代議士の発言を「鬼首ゲット」とばかりに責め立てても、しょせんは安保法制とは本質的に問題を異にする。野中広務と古賀誠がテレビで、まるで自民党全体の「劣化」のごとき発言をしているが、一陣笠の発言で全体を律する「卑怯なる論理構成」であり、聞くに値しない。民主党はこだわればこだわるほど本筋で突けない弱点を露呈しているのだ。論争で打つ手なしの窮地に陥った民主党はやってはいけない禁じ手に出た。安倍以下誰も主張していない徴兵制を取り上げ、「いつかは徴兵制」というパンフレットを作った。貧すれば鈍すると言うが、このパンフレットは責任政党放棄を自ら証明するデマゴーグ路線の採用に他ならない。朝日もネタ切れと見えて終いには「小じゅうと」のように、首相の答弁の口癖にまでケチを付け始めた。7月5日は「私は総理大臣なんですから」と言う当たり前の発言が「独裁」と言わんばかりのレベルの低い特集記事だ。こうして平成の大安保論争は、野党が突破口を見出せず、左翼メデイアも決め手がないまま、事実上の終焉を迎えようとしている。それにつけても、安倍の論理武装と弁舌は歴代首相でも抜きん出て天才的であり、防衛相の下手で危うい答弁を「補佐」して余りあるものがあった。政治家に天才という言葉は田中角栄以外に使ったことがないが、まさに安倍答弁は天才的だった。
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