ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2007-01-23 11:27
連載投稿(1)テロと非対称脅威について
秋山昌廣
海洋政策研究財団会長
新しい脅威として、テロが新世紀の大きな問題となっている。警察力だけではなく、軍事力によるテロへの対応が課題になっている。米国では、その軍事力、すなわち装備と態勢をこの新しい脅威へ対応できるように「トランスフォーメンション」が進行中である。無垢の市民がテロの対象から如何に逃れることができるか、いかにして護るか、いわば「人間の安全保障」が問われている。
ところで、良くある議論として「軍事力のみで、テロの背景やテロの政治的・社会的目的を無視した対応では、テロ問題は解決できない」という批判をどう考えるべきか。イスラエルの元首相ネタニャフは「テロには妥協せず、徹底的にこれを壊滅すべきだ」という。ブッシュ政権も大体同じ考えかと思う。「テロに妥協しては問題は解決しない」というものだ。他方でパレスチナは「我々はテロと戦っているのだ。イスラエルの国家テロと戦っているのだ」という。考えてみれば、フランス革命時のロベスピエールも、旧ソ連も、フセイン統治下のイラクも、いわゆる恐怖政治たる国家テロを行ってきた。イスラエルの軍事行動はかかる恐怖政治とは全く異質とは思うが、パレスチナ側は暗殺行為を含めこれを国家テロと見なす。
また、第2次世界大戦後に発生した多くの植民地の独立は、武力では劣る人民側が、テロを含めた対宗主国戦争によって実現したものである。歴史の後智恵ではあるが、このようなプロセスにおけるテロは、悪事・犯罪とは言い難い。要するに、テロの背景、その目的などを考慮すると、テロを一括りにして悪と規定するのは大変難しいし、同時に「テロがあればその目的を理解してこれを受け入れるべきだ」とはとても言えない。神のみぞ知るところの、認められるテロと認めることができないテロがあるとしても、人間社会では必ず立場によって異なる見方となる。国連の場でテロ禁止条約の議論があっても、特別な核テロ禁止以外については一向合意に向かわないのはテロの定義ができないからである。
そこで、テロという概念ではなく非対称脅威(asymmetric threat)という概念に着目すれば、これはより客観的な事実認識が可能である。そして、非対称脅威をまず的確に定義し、その定義による要素分解に立脚した対抗策を示すことができれば、テロを含む非対称脅威の極小化を推し進めることができるのではないかと考える。ただ、いずれにしても、人間社会においてこれを根絶することはできず、如何に極小化できるかという課題と考えるべきである。(つづく)
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
一覧へ戻る
総論稿数:5601本
公益財団法人
日本国際フォーラム