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2014-07-19 21:12

「国進民退」下の中国の「法治」

中兼 和津次  東京大学名誉教授
 私は法学者でもなく、法学部出身でもないが、法の重要性はよく知っているつもりである。法とは競技におけるルール(規則)のようなものだが、そうしたルールなしには競技は成り立たない。また仮にルールがあったとしても、ルールの一貫性や中立性が破られるなら、その競技は不公正なものと見なされ、実際上競技は成立しない。 

 経済学ではしばしば市場経済におけるレフリーとプレイヤーとの関係が論じられる。正規の競技においては、公平性を担保するために、ルールの執行者または解釈者であるレフリーは、プレイヤーとは異なる集団から選ばれる。サッカーやボクシングの国際試合では、審判は必ず第三国からやってくる。そうしないと、試合に当たって一方の国に有利に、あるいは逆に他方の国に不利になるような判定が出されるかもしれないし、それ以上に、全ての判定に「不公平」の疑義が付きまとい、試合は信頼性を失うからである。市場も一種のゲームであり、もしそこで国有企業というプレイヤーと民間企業というプレイヤーが競争するとなると、レフェリーはルールを作った国家や政府以外にありえないから、公平な試合は期待できないことになる。したがって市場経済国では、初期に国家が産業を育成する場合や、業績不振の民間企業を一時的に国有化することはあっても、市場におけるプレイヤーは原則として、あるいは多くの場合、民間企業ということになり、国有企業は市場から次第に退出していく。

 しかし中国では、憲法でも公有制が核であることを謳っており、重要産業では国有企業に独占させるか、あるいは国有企業を主体とすることが定められている。そのために「社会主義市場経済」体制の下で「国進民退」(国有部門が拡大し、民間部門が縮小する)現象が起こったりする。改革派の経済学者が指摘するように、国家が銀行をほぼ独占し、融資において国有企業が優遇されるような状況の下では、民間企業は圧倒的に不利な立場に置かれてしまう。それでも徐々に民間企業が拡大してきたし、そうした民間企業の活力には驚かされるが、市場というグランドで公平なルールが適用されない中国の現実を見ると、あの国における「法の支配」の弱さと限界をつくづく感じさせられる。

 20年ほど前、中国社会科学院の一行を接待したことがあるが、その時「田中角栄の逮捕は、日本でどれほどの意味があるのか?」と聞かれたので、「それはちょうどお国で鄧小平氏を逮捕するようなものですよ」と答えるとビックリしていた。習近平政権が必死に汚職撲滅をアピールしているが、中国では決して「鄧小平」は逮捕されない。なぜなら、「法の前の平等」という法治原則がないからである。
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