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2013-11-08 06:44
「炎上釣り師」山本太郎の狡猾さ
杉浦 正章
政治評論家
ウエブのサイトで不祥事などをきっかけに爆発的に賛否の議論を巻き起こすことを「炎上」と言うが、そのきっかけを作ることを「釣り」と言う。あちこちでサイトを炎上させる者は「釣り師」だ。参院議員・山本太郎はその「釣り師のポリティック」に出たのだ。従って、論議が燃え上がれば燃え上がるほどありがたいのだ。一見神妙な顔をしながらも、本人は「しめしめ」と思っているに違いない。なぜなら、タレントであるからだ。タレントはテレビに出てなんぼの世界に生きている。もともと賛否両論が出るのは百も承知だ。賛否両論で燃え上がれば燃え上がるほど、非難が増えるが、一方で相対的に支持者も増える。そこが狙いだ。
案の定、ウエブではノーテンキな都民の婆さんたちが「可哀想」などと、馬鹿な感情論を展開している。物事の真偽を見分けられなくなった婆さんたちは、天皇に直訴することが大それた事などとは理解できず「原発反対の山本さんがいじめられている」としか映らないようだ。昔社会党系都知事の美濃部亮吉が失政をして、自民党などから叩かれる度に「美濃部さんお可哀想に」と同情した婆さんたちを思い出す。理屈ではなく感情で物事を判断するのだ。問題の根源は、こうした政治家を選出する選挙民の側にある。都民ほどガバナビリティ(被統治能力)に欠ける選挙民は、日本広しといえどもいない。尖閣買い取りを主張するような石原慎太郎を選んで、国を危うくしたり、猪瀬直樹を選んで危うくオリンピックを逃しそうにしたり。今度は原発反対を唱えるだけのタレントを選んで、この始末だ。民度が低すぎるのだ。
読売川柳に「山本見て猪木見て参院見る」という傑作が載っていたが、物事の本質を突いている。作者は山本と国会に無断で北朝鮮を訪問したアントニオ猪木を暗愚の見本として眺めている。そして参院を見て、「この体たらくで、参院が必要だろうか」とあきれているのだ。実にうまい川柳だ。逆に朝日は「不敬だと騒げば疼(うず)く脛(すね)の傷」という川柳を選んで、選者が「例えば主権回復式典」とコメントしている。なぜ主権回復式典かと言えば、同紙の論調が「山本が天皇の政治利用なら、主権回復式典で安倍政権が天皇の臨席を仰いだのも政治利用」という流れになっているからだ。これを見てつくづく思うのが、朝日の編集方針の全体主義的傾向だ。原発反対であれば、タレント議員が天皇に直訴しようと何をしようと非難しない。支持したがる。そして川柳に至るまでその方針を徹底する。選者は上の方針を察知して、そのお眼鏡にかなうような川柳を選んで、吾が身の保全を図るのだ。その徹底ぶりは「ご立派」というしかない。
山本の卑怯未練な人格を浮かび上がらせたのが、事件拡大をマスコミのせいにしようとしていることだ。「マスコミが騒いだから、政治利用にされた」と発言しているが、テレビカメラが写してることを確認して手紙を渡しておきながら、よく言えたものだ。この山本事件で、もたもたしているのが安倍政権だ。当初は幹事長・石破茂が 「テレビや新聞で大きく取り上げられることによって、存在感を大きくしようと思ったのではないか。天皇の政治利用と言われても仕方がない」と息巻けば、文科相・下村博文が「議員辞職ものだ。政治利用そのものだ」と批判。しかし、その後はなにやらぱっとしない。下村に至っては山本を、明治天皇に直訴した田中正造に例えて、「田中正造が直訴して大問題になったことに匹敵する」と批判してしまった。足尾鉱毒事件で自ら議員辞職した上で天皇に直訴した田中正造は、むしろその動機といい、心情といい、英雄的行為であった。もとより売名タレントなどと比較すべきものでもない。党内などから批判が出ると「立派な田中正造に申し訳ない」と記者会見で謝った。参院自民党も7日山本を参院議長による厳重注意と、皇室行事への出席を自粛させる方針をいったん固めたが、事前に方針が漏れたことを理由に、決着を8日に延期した。とにかく、騒がれれば騒がれるだけその本能が快感を感ずるタレント議員を、都民が選んでしまった“祟り”は続く。「炎上釣り師」は今度は何をやって目立とうとするのだろうか。
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