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2013-05-24 14:26

「固有な文化」とは何ぞや?

若林 洋介  学習塾経営
 去る5月16日の衆議院憲法調査会の議論はなかなか面白かったが、国家の基本法の議論としては物足りい面も多かった。特に自民党改正案の核心部分は、前文の冒頭部分であるが、自民党議員の説明からは薀蓄のある「日本文化論」も聞かれず、「天皇論」も聞かれなかった。また各政党からの問題提起も聞かれなかった。政治家に「日本文化論」を期待することは無理かも知れないが、提案者である自民党議員からも説明がないとすると、何の説得力も無い単なる枕詞として使っただけのことになる。自民党案の核心部分は「日本国は長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」、「国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」だ。

 にもかかわらず、「固有の文化」や「天皇を戴く」について、それがどういうことかについての深い説明がない。「長い歴史」を持つということについては誰も異論がないが、「固有の文化」については大いに異論がある。長い歴史の中で形成されて来た日本文化は、「固有の文化」という言葉で括られるような偏狭なものではない。むしろ「固有な文化」と言うよりも「豊かな文化」と言った方が日本文化の包括的な表現としてふさわしく、日本文化に流れている寛容な精神を表す言葉としてもふさわしい。私が受けた歴史教育の知識でも、日本文化の中心とされれる稲作文化も、中国大陸や朝鮮半島から伝播して来たものであるし、6世紀には正式に朝鮮半島から儒教と仏教が伝えられ、飛鳥時代にはすでに見事な仏教文化が開花している。法隆寺を建立した聖徳太子の国家的大事業、また熱心な仏教徒であった聖武天皇の奈良の大仏の建立は、国運を賭けての日本全国民の協力による壮大な国家プロジェクトであった。

 遣唐使の廃止後、国風文化が醸成されたが、これもまた日本文化の一つの現われであった。また戦国時代の西洋文化を摂取した南蛮文化、江戸時代初期に島原半島において開花したキリシタン文化(バテレン文化)なども、すばらしい日本文化の一形態であった。さらには、北海道のアイヌ文化、沖縄諸島の琉球文化も、我が国の文化の多様性と豊かさを形成しており、それぞれ味わい深いものがある。偏狭な幕末の尊皇思想家たちの強い影響力の下に、明治新政府から神仏分離令が発せられるやいなや、「廃仏毀釈」運動が起こり、日本の各地において神社に安置されていた仏像が破壊され、廃棄された。また皇室(宮中)にも歴代天皇の位牌が祭られている仏間(仏壇)があり、天皇・皇后が手を合わせておられたのであるが、神仏分離令によって廃止された。天皇が退位されると上皇となり、上皇が出家して仏門に入ると法皇と言われていた。それだけ皇室と仏教とのつながりは深いものがあったのである。皇室の菩提寺としては、京都の泉涌寺(せんゆうじ)が有名である。

 日本の皇室と言えば、大多数の日本国民は天照大神を主宰神とする神道をイメージするであろうが、江戸末期まで一千年以上の長きにわたって、天皇家の葬儀は仏教式で行なわれ、神仏習合の思想が主流であった。そこに日本文化の寛容性と多様性が醸成されて来たのである。このような長い歴史の中で我らの祖先たちによって育まれてきた日本文化の豊穣さを考えてみても、「固有の文化」という言葉よりも「豊かな文化」と表現した方がよりふさわしいのではないのか。それはまた日本国民の文化的包容力の大きさを表現することにもなり、日本国民が自己確認する上で、また対外的にもアピールできる表現となろう。以上の私の見解を一つの問題提起として、より議論を深めていただきたい。
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