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2006-11-15 17:21
核保有の議論活発化は自然な動きである
松山晶
大学生
朝鮮半島情勢は、常に日本の安全保障のあり方を刺激してきた。1950年、朝鮮戦争に投入された米占領軍の不在を埋めるため、自衛隊の前身となる警察予備隊が創設された。北朝鮮による1993年のノドン、1998年のテポドン発射もその時々、日本の防衛体制の不完全さを露呈した。そして10月9日の北朝鮮の核実験は、日本において核保有の是非をめぐる議論を表面化させた。
核保有の議論を促す中川昭一政調会長の問題提起は、核の問題を長年封印してきた日本人の心情をかき乱したが、それは今まで抑制されていた議論が自然に動き出した証拠ではないか。テロ撲滅という米国にとってより重要な政治課題が発生した直後から、国際関係は流動化し始めている。2003年7月の米印共同声明によって明らかにされた「地域の安全と経済への考慮は、時に国際的な核拡散防止に優先する」との考え方は、多くの非核武装国に飛び火した。核をタブー視しない姿勢は、隣国の韓国でも如実に現れている。より不明瞭な形ではあるが、核問題を議論すべきではないかという考えが、日本でも着実に根付いてきている。そして北朝鮮の核実験強行に伴い、「今動かないと、またうやむやになってしまう」との危惧が触発されたのだ。
したがって、核保有の議論が今、北朝鮮の動きを受けて国内の各レベルで活発化するのは、自然な動きなのである。しかしこの機会を、単なる「核保有か否か」で終わらせてはいけないと思う。事なかれ主義で何とか存在してきた日本の防衛体制そのものを見直す、大切なチャンスにしなければならないと思う。日本はこれまで基盤的防衛力構想、つまり国内外の情勢が大きく変化しない事を前提とした情勢判断に依拠してきた。しかし大量破壊兵器、ミサイル拡散、国際テロリズムなど、脅威が多様化し、国際情勢が大きく変動する現在、軍隊による攻撃を想定して受動的体制を取るだけでは、もはや国を守り切れない。集団的自衛権の定義、有事法制の整備、またミサイル防衛の導入など、多面的な検討が求められている。
論議を始めたら最後、日本は核武装まで盲進してしまうだろうと危ぶむひともいるが、非核を貫きたいのであれば、なぜ日本は核を持つべきでないのかを、国民に納得させる必要がある。説明もせずに「ダメなものはダメ」では、将来それこそ盲目的な核武装につながりかねない。日本の安全保障を見直そうという動きを「右翼思想だ」「過去の戦争に対する反省がみられない」などと決めつけ、議論することさえ禁ずるのは、国家と国民の安全に対する責任放棄である。1978年に故栗栖弘臣氏を「超法規的行為」発言を理由として解任した愚を繰り返すべきではない。
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