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2006-11-07 10:48
原子力記者から核の専門家へ
今井隆吉
世界平和研究所研究顧問
日本国際フォーラムの政策掲示板「百花斉放」にこれからときどき投稿したいと思っている。今回は第1回なので、少し自己紹介をかねて、古い話をしたいと思う。
「――『原子の火』日本に初めてともる、けさ東海村で――」1957年8月27日、東京朝日新聞朝刊一面トップの大見出しである。広島に原爆が落とされてから十年余、ウラン核分裂の連鎖反応が「原子力の平和利用」として東海村の海岸の松林の中で初めて実現したのである。原子力予算235億円が国会を通過して、誰も原子力軍事利用など考えもしない中に、アメリカから購入した超小型の研究炉がある夏の朝稼働を始めたのである。
早朝のニュースを有楽町の本社で刷って水戸迄運んでいる暇はない。「朝刊12版」という締切を延ばした新聞を水戸の海岸にヘリコプターで落とし、同時に有楽町の周辺に配ったのである。新聞記者一年生の私は「1面に記事を書ける」この機会に大いに感激したものである。松林の中は当時の安川(第五郎)原研理事長を中心に黒山の人だかりだった。
それが御縁で理学部出身の私は原子力記者になって、アメリカの国立原子力研究所に留学をさせて頂き、日本原子力発電所に引き抜かれて技術部長となり、「エネルギーと核は物識りの筈だ」というので、クウェイトやジュネーブの軍縮担当特命全権大使となり、以後「専門家」ということになってしまった。
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