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2006-09-06 17:08
外交とNGO
鵜野公郎
慶應義塾大学名誉教授
外交は政府間の交渉と合意の積重ねである。国際機関もそのメンバーは国であり国を代表する政府である。しかし従来から外交が上手といわれる国を見てみると、シンクタンクが人材のプールとなって政府や国際機関に専門家を供給し、また新しい政策課題を積極的に取り上げて議論することで、政府の負担を軽くしてきた。政府としては言えない難題も、シンクタンクであれば果敢な発言も可能である。
最近の新しい動きはNGOの活用である。政府は一国を代表するものであり、一国の中で行なわれる選挙によって形成されることは当然であるから、選挙民の当面の意識をこえることは難しい。別の面からいうとエネルギーや地球温暖化など国を横断するグローバルな問題や国際河川流域の問題、あるいは一国の中でその政府にも目が届きかねる地域の問題、地域コミュニテイーとの接点が必要な問題などについては、政府が有効に対処することは難しい。「持続的な成長」のように超長期にわたり国民の意識を変える必要もあるような課題も、政府の範囲を超えてくる。NGOであればグローバルな視点とコミュニテイーの視点をシームレスにつなぐことができるし、NGO同士が国際的なネットワークを形成することで柔軟な対応が可能である。
NGOの強みはフィールドと直結していることである。フィールドワークによる現実感覚を基礎とする点は、シンクタンクもかなわないし、大学も学問分野を横断する課題には弱いのが現実である。外交が上手だといわれる国は、NGOのこうした強みをうまく利用している。例えば経済援助にしても、資金の支出で終わるのではなく、受け手である現地においてプロジェクトの定着を図り必要な人材を育成し問題点を探るなど、効果を確実にする機能をNGOが果たしているケースが多い。政府や援助機関では入り込めない地域にも、国際NGOなら入れる場合も多く、現地NGOと協力することでボトムアップの触覚機能を高めている。
翻って日本を見ると、NGOに期待するだけでは単純に過ぎよう。日本の場合、NGOは数こそ多いが規模が小さい場合が多い。大学や研究機関とのリンクが弱く、アカデミックな知見に立った行動が取れていない。現地の言語はいうに及ばず、英語でのコミュニケーション能力にも欠ける場合が多い。NGOがこうした弱点を抱えていることは事実であるにしても、他方日本の外交や援助については、投じる努力量・資金量は多くとも「顔が見えない」といわれる実態がある。政府、大学・シンクタンク、NGOの3者が役割分担してことに当たることが良いのではなかろうか。
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