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2010-06-14 10:59
チェチェンの未来について、私はむしろ絶望した
大藏 雄之助
異文化研究所代表
さる6月12日、日本国際フォーラム・チェンチェン問題研究会が他団体との共催で「テロと暗殺のはざまで/世代の壁は超えられるのか?コーカサスに平和を実現するために」と題する「公開ディベート」を開催したので、私も参加した。チェチェンはエカテリーナ女帝のカフカス制圧以来、ロシア帝国・ソ連時代を通じて、常に統治上の不穏の種であったが、ロシア最高会議議長になったルスラン・ハズブラートフのように中央で活躍したチェチェン人も少なくない。ゴルバチョフ政権の末期には、ソ連を構成する15の共和国はそれぞれに民族国家として独立したが、中核であるロシア共和国は多数の少数民族を抱える「連邦」であることから、ロシア共和国内の諸民族の独立要求には否定的であった。これに対して、当時のロシアのエリッイン大統領は「その権利を容認する」と言明した。だが、その後実際にチェチェンがロシアからの離脱を目指すと、エリッインは軍隊を派遣して弾圧にかかった。ただし、この第一次チェチェン戦争(1994年~95年)でロシアは敗退し、チェチェンは事実上の独立を達成した。
にもかかわらず、1999年にプーチンが首相に就任すると、チェチェン人がモスクワの高層アパートを爆破した(この爆破事件はロシアのやらせであるという説が有力)という理由で、第二次チェチェン戦争と呼ばれる大規模な軍事作戦を再開した。これは無差別の殺戮・破壊攻撃だったために、EUはロシアに対して警告を発し、「平和が回復されない限り、ロシアと協議はしない」と言明した。ところが2001年に9・11同時テロが発生するや、プーチン大統領は真っ先にブッシュ大統領に電話して、アメリカのテロ撲滅を全面的に支持すると述べ、「われわれも同じようなチェチェンのテロに直面している」と訴えた。ブッシュがこれに同意したことから、西側のチェチェン支援体制は崩壊し、まもなくチェチェン全土はロシア軍に蹂躙された。現在、ロシアとその傀儡政権の手で町は復興されつつあり、住民は生きていくために、当局側に協力せざるを得ない。独立派は同胞の警察官によって逮捕されている。この状況を打破する客観的な条件はあるのだろうか。
私は、ブレジネフ書記長時代に3年間モスクワ特派員をした。その経験から「ソ連は連邦結成100周年を迎えることなく、崩壊する」と確信し、そのことを本にも書いた。当時到るところで実態と異なる報告がなされており、それに基づいて5カ年計画や外交交渉や軍拡政策がとられていた。心ある若手の党官僚は、もう建前だけでは国家を維持できないことに気付いていた。そこにレーガン大統領が軍備競争を挑んだから、ゴルバチョフ政権は耐えられなかった。私が予測していたよりも20年も早く、社会主義のソ連は消滅した。それと同時にバルト3国をはじめ、カフカス3国も独立した。これらの国々は、ロシア革命後に一時独立していた経緯がある。特に独ソ不可侵条約附属の秘密協定によってソ連に帰属することになったバルト3国に対しては、ソ連支配の正当性を認めない証として、アメリカの外交官は査証を得て訪問することを禁じられていた。
したがって、ソ連が東ヨーロッパやバルト3国を手放すことは、西側との正常な友好関係を回復する手がかりであったが、チェチェンに関してはそのようなことは期待できない。今回の「公開ディベート」で、チェチェンの解放を支援してきた方々は、「現地の不満が周辺のイスラム系の少数民族全体に広がり、ロシア各地に存在するロシア人も含めたプーチン体制への不信が高まり、やがてはロシア全国民が自由を享受することができるだろう」との希望を語った。「やがて」をものすごく長期にとらえれば、何事も可能であろう。けれども、今生きている人の時代に実現しないで、いつの日か歴史の事実に書き加えられるのでは、一片のユートピアでしかないのではないか。チェチェンのことを知っている日本人は少ない。そこに救援の輪を広げるのは至難の業である。チェチェン問題の背景は複雑極まりない。かといって今回のように長々と説明するのでは、理解は深まらない。私はむしろ絶望した。
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