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2009-09-08 10:44

オリンピックの東京開催への一抹の不安

大藏 雄之助  評論家
 古い出来事であるが、1980年の2月の終わりごろ、私はニューヨークからサンフランシスコ経由で帰国の途中、大嵐のために飛行機がモントリオール空港に緊急着陸した。この悪天候のために付近を飛ぶ民間航空機はすでに何機もこの飛行場に降りていたようで、狭い出入国ロビーは動けば他の乗客と体が触れ合うほどの混雑だった。

 奥の方が少し空いているようだったので、私はそちらに歩いていった。そこには20脚ばかりの椅子があり、どれにもリュックサックやバッグがのせてあった。欧米流の定義では椅子は人間がすわるためのものだが、日本人は手荷物を床に置くことを嫌う。そしてその前に幾つかのグループが輪になってトランプをしていた。彼らはみんな日の丸のマークのついたユニフォームを着ていた。そばに60年配の女性と孫娘らしい二人ずれが立っていた。学齢前と見える女の子がおばあさんに、「あの人たちは誰?」と尋ねた。婦人は「日本のオリンピックの選手たちよ」と答えた。私は顔から火が出る思いだった。

 レークプラシッドのウィンターゲームの日本の成績はさんざんだったが、私はその時まで「参加することに意義がある」という言葉を信じていた。この瞬間、考えが変わった。頑健な若者たちが、老人や幼児に譲ってしかるべき座席を荷物で占領して、遊びほうけているとは!片隅のテーブルのある席で、やはりおそろいの帽子をかぶった中年の男たちがビールを飲んでいた。コーチ連中に違いない。日本選手団は役員が多いことで有名である。私は身分を名乗った上でリーダー格の人に、荷物を片付け、車座をやめてスペースをつくるように進言した。

 すると彼は何と、「選手も疲れていますから」と言った。以来、何人かのすばらしい選手と知り合ったが、全般的にオリンピックには好感が持てなかった。今、東京開催で子供たちに身近に感激と興奮を味合わせてやりたいと願いながら、まだ一抹の不安をぬぐいきれないでいる。
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