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2026-04-27 10:35
イラン革命防衛隊はペルシャ•コサック旅団の現代版?
山田 禎介
国際問題ジャーナリスト
悠久の歴史を誇るイラン(ペルシャ)だが、昭和天皇が、当時のイラン・パーレビ国王訪日時(1958年)に行われた古代ペルシャ展会場で「貴国の長い王朝の歴史には------」と、並んで訪れた国賓パーレビ国王に感想を述べたが、これに国王は戸惑いとも当惑ともつかぬ表情だったといわれる。というのもパーレビ国王のイランは、当時ではわずか30数年の歴史の新王国だった。その二代目でしかない新参統治者のパーレビ国王。その父でペルシャ•コサック旅団の将校レザ•ハーンがカジャール朝にクーデターを起こし実権を握って建国(1925年)したのがパーレビ朝イランだった。
そのペルシャ•コサック旅団とは、19世紀末期から20世紀初頭に存在した騎馬旅団でカジャール朝の軍隊だったが、現状アメリカ・イラン戦争では、イラン・イスラム共和国の革命防衛隊がそのような存在ではないかとさえ思えてくる。そもそもペルシャ•コサック旅団は、当時のロシア帝国での有名な騎馬兵力のコサック軍団の仕組みを導入したもので、初期は、指揮官の将校に主力兵士もロシア兵で編成された。それがやがて、カジャール朝自前の騎兵旅団と成長したものだ。
イランとロシア(旧ソ連)の関係は、このペルシャ•コサック旅団が象徴的で、双方カスピ海の両岸という地政学的位置にあることが大きい。おまけにイランの西アゼルバイジャン州と東アゼルバイジャン州は、旧ソ連から分離したアゼルバイジャン共和国と歴史的には対をなす人為的に国境が出来たエリア。それほどイランと隣国のロシア(旧ソ連)は、カスピ海の海面下での表裏一体の面がある。現実にロシアからのカスピ海経由の軍事支援は公然たるものだ。またペゼシュキアン現大統領もイラン多数派ペルシャ人ではなく、このアゼルバイジャン系であることが注目点だ。
イラン革命防衛隊はパーレビ国王亡命後のイラン•イスラム革命で登場した最高指導者ホメイニ師の命により1979年、パーレビ時代までの国軍とは別途に創設されたが、海空軍のみならず、弾道ミサイルも手中にするほどの軍事組織として成長した。ロシアの軍事支援の大半が革命防衛隊に向けられ、またイスラム社会文化の諸国同様に軍事組織とは別の関連企業群を保持している。
ここで指摘する歴史的なペルシャ•コサック旅団は、カジャール朝での政変でたびたび主役となった。最終的にはレザ•ハーンのクーデターによるパーレビ朝をも誕生させた。第一次大戦の中東戦線では当時、カジャール朝イランは中立の立場だったが、オスマン帝国と英国•ロシアの軍事衝突から逃れることは出来なかった。当時200万人以上の民間人が死亡したが、英国•ロシアの現イラン国内での軍事行動のあおりで大飢饉に見舞われたからだ。現状米国の攻勢の中での現代の革命防衛隊の軍事政治的存在と行動も、なにやら第一次大戦時のペルシャ•コサック旅団の政治的役割を想起させるものだ。政治体制が変わろうとも、民族の歴史上での思考行動が変わることがない例がこの地球上に多々ある。
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