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2025-07-24 16:36

「中心の薄弱なイデオロギー」によるトランプ政治の混乱

河村 洋 外交評論家
 学界や政策観測筋ではトランプ政権の予測不能性を理解する鍵を見出そうと、様々な情報源を模索している。特定の政策を理解するには、閣僚やその他の高官による発表や発言が参考になる。しかし、あらゆる政策について最終決定を下すのはドナルド・トランプ大統領自身である。したがってトランプ氏の攻撃的で時には自滅的な言動の背後で、そうしたものを駆り立てる力が何かを理解する必要がある。

  彼のポピュリスト的な思想と行動を説明するキーワードはオランダ人政治学者、カス・ミュデ米ジョージア大学准教授によって「中心の薄弱なイデオロギー」と呼ばれている。この用語との遭遇は、“LSE British Politics and Policy Blog” でポピュリズムとトランプ関税に関する4月2日付け論考を読んだ時だった。その論考で「中心の薄弱なイデオロギー」という概念は、確固たる価値観や政策を欠いた反エリート主義的なイデオロギーとして説明されている。ミュデ氏の学説は日本の学界からも大いに注目されている。北海学園大学の高橋義彦教授は、ポピュリズムとは社会は最終的に「汚れなき人民」と「腐敗したエリート」という均質かつ敵対的な二つの集団に分かれると捉える「中心の薄弱なイデオロギー」と定義され、この世界観では政治は人民の「一般意志」の表明であるべきだと主張されると論評している。興味深いことに、高橋教授は、ポピュリストは社会の矛盾について正しい問題提起をしながら、それに対して間違った回答で応じてしまうと述べている。本稿ではトランプ氏の「中心の薄弱なイデオロギー」について、貿易、反ユダヤ主義、イランという3つの問題に関して述べたい。

1. 【貿易】
 トランプ政権の最初の任期以来、関税は貿易交渉におけるブラフの手段となってきた。しかし、このような高圧的な姿勢で彼が何を達成したのかは極めて疑わしい。これらの関税攻撃は、現状不満を募らせるMAGA支持層を楽しませるためのリアリティショーのようだ。1期目にはトランプ関税がNAFTAを破壊したが、カナダとメキシコとの間でも同様の地域自由貿易協定(FTA)が締結された。同様に中国との暫定合意に達するや否や、トランプ氏は関税攻勢を撤回した。2期目になるとトランプ氏の貿易政策はより常軌を逸し、強制送還された移民や違法薬物の流入に関してカナダやラテンアメリカ諸国に圧力をかけるなど、より広範な政治目的のために利用されるようになった。歴史的に、ポピュリスト的な貿易政策は反エリート主義的であり、怒れる群衆を魅了するために政治的に倒錯している。興味深いことに、このような高圧的な交渉が不利になると、トランプ氏は即座に要求を撤回する。そのため、彼には”Trump Always Chickens Out”(常に尻込みするトランプ)を捩ったTACOという仇名が付けられている。
 
 アメリカの貿易相手国の中で、トランプ氏はタフな姿勢をラストベルトのMAGA支持層にアピールするため、中国を最も厳しく攻撃している。しかし良識ある経済学者はトランプ氏の選挙運動以来、このようなリアリティショーを冷笑している。ラストベルトの雇用喪失を招いたのは中国ではなく、サンベルトへの労働移動である。トランプ氏の関税攻撃は完全に的外れである。より典型的な「中心の薄弱なイデオロギー」は、ブラジルとの貿易交渉に見られる。トランプ大統領は、2022年の大統領選挙後にクーデター未遂で拘束されているジャイール・ボルソナーロ前大統領を釈放しなければ50%の関税を課すと、ルラ・ダ・シルバ大統領を圧迫している。トランプ氏は他国の司法権を侵害しており、これは法の支配の観点から容認できない。さらにアメリカは2007年以来、ブラジルとの貿易黒字を維持している。トランプ氏の関税引き上げの目的は何だろうか?これらの貿易交渉は、外国の貿易相手国や自由貿易志向のエスタブリッシュメントへの苛めを見せつけるだけのリアリティショーなのか?
 
2.【反ユダヤ主義】
 トランプ氏は大学の研究と教育を左翼的だと非難し、学問の自由を侵害している。大学キャンパスにおけるDEI運動を非難するとともに、イスラエルによるガザ攻撃に反対する学生集会をウォークで反ユダヤ主義だとレッテルを貼っている。しかしトランプ氏とその側近はヨーロッパの極右運動を支持してきたことを考えると、これは筋違いだ。第一期にはトランプ氏が任命したリチャード・グレネル駐ドイツ大使氏がヨーロッパ全土における親トランプの右翼運動の台頭を煽り、激しく批判された。このような政治介入は、『外交関係に関するウィーン条約』第41条違反となる。2期目には、イーロン・マスク氏が悪名高いMEGA(メイク・ヨーロッパ・グレート・アゲン)キャンペーンを立ち上げた。またトランプ氏の選挙運動はホロコースト否定論者として悪評を博すソーシャルメディア活動家、ニック・フエンテス氏の支援を受けた。さらにトランプ政権の一部の高官は反ユダヤ主義者と密接な関係を持ち、彼らの右翼的な主張を後押ししている。ホワイトハウスの国土安全保障省担当連絡官であるポール・イングラシア氏は、フエンテス氏を含むホロコースト否定論者と密接な関係にある。司法省ではトランプ氏がコロンビア特別区検事に任命したエド・マーティン氏(現恩赦司法官)が、ナチス支持者のヘイル=クザネリ氏への称賛で懸念を呼んだ。またカシュ・パテルFBI長官は、就任前にホロコースト否定論者のスチュ・ピーターズ氏をポッドキャストに招いた。反ユダヤ主義がそれほど重要なら、なぜトランプ氏は彼らを任命したのだろうか?
 
 にもかかわらず、「中心の薄弱なイデオロギー」はこうした論理的矛盾を気にしない。MAGAの群衆がシオニスト過激派に同調するのは彼らが親ユダヤだからではなく、反体制主義と排外主義、特にイスラム教徒へのヘイト感情に突き動かされているからだ。こうした反主知主義者たちは、ベンヤミン・ネタニヤフ首相のガザ政策に対する抗議活動を、ウォークで親テロリストだとレッテルを貼る。これがトランプ氏の反ユダヤ主義の定義である。したがって、ホロコースト否定論者、キリスト教ナショナリスト、その他の右翼がトランプ氏の主張に共感を示すのは不思議ではない。しかしイスラエル人はガザ問題に関して、ハマスによる人質への配慮が不充分であるとして、ネタニヤフ首相を必ずしも支持しているわけではない。また、アメリカのユダヤ人は必ずしもイスラエルを盲目的に支持しているわけではない。シオニスト過激派に批判的なユダヤ人も少なくない。トランプ氏が言う反ユダヤ主義は根拠に乏しいが、「中心の薄弱なイデオロギー」が「反ユダヤ主義」という言葉を都合よく解釈している。
 
3.【イラン】
 最近のイランとの紛争は、孤立主義から軍事冒険主義へと揺れ動くトランプ氏の「中心の薄弱なイデオロギー」のもう一つの例である。トランプ氏は1期目にJCPOAから離脱したが、2期目には核不拡散のためのイランとの「平和的」な二国間交渉を開始した。1期目のシリアとアフガニスタンでの出来事に見られるように、トランプ氏は中東におけるアメリカの軍事的関与の縮小を望んでいた。しかし、ネタニヤフ氏はトランプ政権下のアメリカをイスラエルによるイラン攻撃に引き込んだ。アラブの視点から見ると、イスラエルとアメリカは特に反シオニスト過激派とイランという共通の敵を抱えている。また、アラブ諸国は党派に関わらずアメリカをコントロールするネタニヤフ氏の政治的手腕に驚愕している。イスラエルは親イスラエル派のロビー活動やキリスト教右派を通じて、アメリカを味方につけるための影響力を持っている。この国の歴代首相の中で、ネタニヤフ氏はこれらのグループやアメリカの聴衆とのコミュニケーションに非常に長けている。またトゥルシ・ギャバード国家情報長官を疎外したことからもわかるように、トランプ氏の米国情報機関への不信感を利用した可能性もある。トランプ氏はモサドの情報に基づいてイランを攻撃した。
 
 イランとの望ましくない衝突に巻き込まれたトランプ氏は、MAGAの選挙公約とは裏腹に、イランにおける「レジーム・チェンジ」という非常に考えにくい言葉を口にした。トランプ氏は国際主義的な外交政策を「エスタブリッシュメント」や「ネオコン」と揶揄してきた。さらに深刻なのは、彼の政権が国家安全保障会議と外交官僚組織の人員を大幅に削減していることである。アメリカは戦後、ドイツと日本に多大なブレインパワーを投入してきたことを忘れてはならない。DOGE主導の小さな政府では、これほどの大規模プロジェクトの計画を立てるには人員が不足している。トランプ氏が外交政策の方向性を突然転換したとしても、現政権はレジーム・チェンジへの準備などできていないことは明らかだ。彼は現在のシーア派神権政治後のイランに関して、いかなる理念や政策も示さなかった。さらに彼の政権の寡頭政治な性質に根差す国家と政権閣僚の企業との利益相反により、その外交政策はますます「中心の薄弱なイデオロギー」に突き動かされるようになっている。現在、アメリカはガザ、ウクライナ、イランという3つの困難な外交交渉を抱えており、トランプ氏はその全てにビジネス上の友人であるスティーブ・ウィトコフ氏を派遣している。こうしたカウディイスモは、不偏不党でプロフェッショナルな外交官集団に対する反エスタブリッシュメントかつ反主知主義的な軽蔑に由来するもので、これはDOGE主導の国務省人員削減とも密接に関連している。ブッシュ政権のNATO大使、そしてバイデン政権の中国大使を歴任したハーバード大学のニコラス・バーンズ教授はNPRとの7月12日のインタビューで、この点について重大な懸念を述べた。
 
 トランプ氏はイランへの突然の攻撃を派手にアピールしたが、核施設と核開発計画継続の意志を一掃するには至らなかった。バース党政権下のイラクやシリアとは異なり、イランはたとえ最高指導者アリ・ハメネイ師や革命防衛隊の将軍たちが殺害されたとしても長期戦に耐えうる体制を備えている。トランプ氏はイランの非核化について極めて「中心が薄弱」である。ブルッキングス研究所のロバート・ケーガン氏は『アトランティック』誌6月21日付けの寄稿でサダム・フセイン政権下のイラクの事例を振り返り、爆撃は核の脅威を除去する保証にはならないと指摘する。むしろトランプ氏はこうした派手な攻撃を通じて、今年6月のロサンゼルス抗議デモへの州兵派遣に見られるように、法執行機関に対する独裁的な統制を強化する機会を捉えようとしていると警告する。もしイランがアメリカにテロで報復した場合、トランプ氏は非常事態を宣言するだろうと。そのためケーガン氏は「トランプ氏がイランでどのような成功を収めようとも、世界の自由民主主義を損なうことになる」と懸念している。
 
【結論】
 トランプ氏の「中心の薄弱なイデオロギー」は、いかなる問題においても一貫した政策方向性を示していないが、彼の統治は国家と世界に対して自らの存在感を誇示したいという、彼自身の欲望によって突き動かされている。これは、ノーベル平和賞獲得への強い希求に典型的に見られる。トランプ氏は、受賞によって宿敵であるバラク・オバマ元大統領に対する優位性を示したいのかもしれない。受賞者を選出するのはMAGAのアメリカ人ではなくノルウェーの委員会であるため、彼が受賞する可能性は極めて低い。しかしトランプ氏はオバマ氏に挑戦することで、MAGA支持層を熱狂させることはできる。彼が事あるごとに示す反エスタブリッシュメントで反主知主義の姿勢は、エリート層や諸外国に対する自らの優位性を示すことを意図したもので、それが他者へのヘイトに取り憑かれた群衆から喝采を浴びている。バーンズ氏とケーガン氏による正当な批判を考慮すれば、トランプ氏を現代アメリカ人のツァイトガイスト(Zeitgeist:時代精神)になり得る何かと見做すのは全くの誤りである。
 
 「中心の薄弱なイデオロギー」は論理的には矛盾しているかもしれないが、感情的には非常に一貫している。これはトランプ政権の予測不能性を解明するキーワードである。本稿の主題ともなっている用語の概念は、バートランド・ラッセルがルース・ナンダ・アンシェン編書“Freedom: Its Meaning”(1940年)への寄稿で、「(ファシスト運動における)第一歩は、一方では感情的な興奮によって、他方ではテロリズムによって、愚か者を魅了し、賢明な者を黙らせることである」と記したように、非常に古くて新しいものである。我々が理解しているように、ポピュリズムとファシズムは深く絡み合っている。
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