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2026-06-12 00:00
核抑止の相対化 ―通常戦力による補完可能性をめぐる考察―
久保 有志
国際公務員
はじめに
日本の安全保障関連文書において、核の脅威に対抗する手段として米国の拡大核抑止が「不可欠」であると位置付けられるようになって久しい。とりわけ、中国や北朝鮮による核戦力の量的・質的拡大が進展し、日本が「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」に直面しているとされる今日、米国による拡大核抑止の重要性は政策論議において一層強調されている。
しかし近年、高度な通常戦力が核抑止への依存を低減し得る可能性について、欧米の戦略研究の分野で新たな議論が展開されている。例えば、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)の報告書『Reducing Global Reliance on Nuclear Deterrence』は、新興技術を活用した通常戦力が核抑止を一定程度代替し得る可能性を論じている。
従来の戦略研究では、核抑止は通常兵器による抑止とは質的に異なる独自の概念として理解されてきた。他方、近年の議論は、核抑止の諸機能を分解して検討することで、その一部については通常戦力による代替や補完が可能ではないかという問題提起を行っている。
本稿はこうした問題意識に立ち、日本が近年整備を進める長射程打撃能力や反撃能力が、米国の拡大核抑止をどの程度補完し得るのかを理論的に検討する。その上で、日本の安全保障政策において拡大核抑止をどのように位置付けるべきかについて考察したい。
1 日本における拡大核抑止のドクトリン化
日本の安全保障戦略において拡大核抑止が「不可欠」と位置付けられるようになった経緯は、2010年以降の日米双方の政策文書から確認することができる。
米国では、2010年の『核態勢見直し(Nuclear Posture Review: NPR)』において、核兵器が同盟国に対する安全保障供与に不可欠な役割を果たすことが明記された。その後の2018年及び2022年のNPRにおいても、同盟国に対する拡大抑止の提供と強化は一貫した方針として維持されている。
これに対応する形で、日本も2010年の『防衛計画の大綱』、2013年の『国家安全保障戦略』、さらに2022年の『国家防衛戦略』などにおいて、米国の核抑止力を含む拡大抑止が安全保障上不可欠であるとの認識を明示してきた。また、2018年の米国NPR公表後には、日本政府が外務大臣談話を通じて米国の拡大抑止へのコミットメントを歓迎している。
さらに日米両国は、拡大抑止に関する認識の共有と政策調整を目的として、2010年から「日米拡大抑止協議(Extended Deterrence Dialogue)」を継続して実施している。
このように、拡大核抑止は単なる政策上の選択肢ではなく、現在の日米同盟の戦略的基盤として制度化されているといえる。
2 核抑止の相対化をめぐる近年の議論
もっとも、日本における拡大核抑止重視の姿勢は、単に米国の政策に従属して形成されてきたものではない。中国や北朝鮮による核・ミサイル戦力の急速な拡充という現実を背景に、日本自身が抑止力強化の必要性を認識してきた結果でもある。
また、米国においても、核抑止の中心的役割は冷戦期以来の戦略理論に支えられており、現在でも政策形成に大きな影響を及ぼしている。
しかし一方で、近年の学術研究では、通常戦力による抑止が核抑止を補完、あるいは部分的に代替し得るとの議論も提起されている。
例えば、Adam Mountは “Conventional Deterrence of Nuclear Use” において、通常戦力の能力向上によって核抑止への依存を相対的に低減できる可能性を論じている。Mountによれば、核兵器が常に唯一の抑止手段であるとは限らず、状況によっては通常抑止の方がより信頼性が高く、実効的であると政策担当者が判断し得る。また、精密誘導技術、長射程打撃能力、ステルス性、ISR(情報・監視・偵察)能力などの発展により、従来は核兵器でなければ実現困難と考えられていた軍事的効果を通常兵器によって達成できる可能性が高まっていると指摘する。
さらに、Samuel Seitz及びLauren Sukinは、2025年の論文 “Deemphasizing Nuclear Weapons in Nuclear Deterrence: The Case for Conventional Counterforce” において、核抑止における核兵器の中心性を相対化し、通常兵器による対兵力攻撃(conventional counterforce)を組み込んだ抑止戦略の有効性を検討している。同論文は、精密誘導兵器や長距離打撃能力の発展によって、通常戦力でも敵の重要な軍事能力を無力化できる可能性が高まっていると論じている。
もっとも、このような学術的議論がそのまま政策へ反映されているわけではない。米国の最新の国防戦略文書は、依然として核による威嚇や強要を抑止するためには信頼性の高い核戦力が必要であるとの立場を維持しており、核戦力の近代化を継続する方針を明確にしている。
3 日本の通常戦力は核抑止を補完できるか
では、日本が近年整備を進めている通常戦力は、核抑止の機能をどの程度補完し得るのだろうか。
本稿では、Patrick Morganによる抑止理論やHerman Kahnのエスカレーション理論を参考に、核抑止の機能を①物理的損害能力、②信頼性・認知的効果、③最終エスカレーション支配、の三つに整理して検討したい。
第一に、物理的損害能力の観点である。
日本が整備を進める12式地対艦誘導弾能力向上型、トマホーク巡航ミサイル、島嶼防衛用高速滑空弾、極超音速誘導弾などは、敵の指揮統制施設、ミサイル基地、軍事拠点等に対する精密打撃能力を有する。これらは、敵の軍事行動によって期待される利益を減殺する「拒否的抑止(deterrence by denial)」の手段として機能し得る。
第二に、信頼性・認知的効果である。
国家間紛争においては、一般に通常戦力による武力行使から核使用へと段階的なエスカレーションが進行する。核兵器は最終局面での使用が想定されるため、その使用決定には極めて高い政治的コストが伴う。他方、通常兵器は使用のハードルが相対的に低く、相手国にとって実際に用いられる可能性が高いと認識されやすい。
日本政府が定義する反撃能力も、核・非核を問わず武力攻撃一般への対応を想定している。この点において、発動条件が必ずしも明確ではない核報復よりも、一定の信頼性を伴う抑止効果を持つと考えられる。
第三に、最終エスカレーション支配である。
核兵器の最大の特徴は、相手に受け入れがたい損害を与え得る究極的な報復能力にある。通常兵器のみで核兵器と同等の破滅的損害を与えることは困難であり、日本が整備する先進的通常戦力であっても、相手国による核使用の最終的決断を完全に抑止することは難しいだろう。
したがって、通常戦力は核抑止の一部機能を代替または補完し得るものの、核兵器が担ってきた最終エスカレーション支配の機能を完全に置き換えることはできない。
以上を踏まえれば、日本の通常戦力は、とりわけ物理的損害能力と認知的抑止効果の面で核抑止を補完する潜在力を有する一方、核抑止そのものを全面的に代替する段階には至っていないと評価するのが妥当であろう。
おわりに
近年の防衛力整備によって、日本の通常戦力は着実に強化されている。これにより、敵の軍事能力を無力化する機能や、抑止の信頼性を支える能力は従来よりも大きく向上した。
それにもかかわらず、日本政府が引き続き米国の拡大核抑止を「不可欠」と位置付けている背景には、同盟政治上の要請に加え、日米が一体となった抑止態勢を対外的に示すことによって抑止の信頼性を維持しようとする戦略的意図が存在すると考えられる。
もっとも、核抑止への依存を過度に強調することは、東アジアにおける核軍拡競争や安全保障上のジレンマを助長する側面も有している。
したがって、日本の安全保障政策において求められるのは、核抑止の絶対性を前提とするのではなく、その機能を分析的に捉え直すことである。
日本の政府文書にみられる「通常兵器のみでは核の脅威に対抗できない」あるいは「核兵器の脅威に対しては米国の拡大抑止が不可欠である」との認識は、最終エスカレーション支配という観点からは依然として妥当性を有する。しかし同時に、日本が整備を進める先進的通常戦力が、拒否的抑止や限定的な懲罰的抑止の機能を果たし得ることも見落としてはならない。
本稿の分析が示すように、核抑止の機能は単一ではない。核兵器が依然として究極的な報復能力としての役割を有していることは否定できないものの、物理的損害能力や認知的抑止効果といった側面については、近年の先進的な通常戦力がその一部を担いうる可能性を示している。
そうであるならば、核抑止と通常抑止を二者択一で捉えるのではなく、それぞれの機能を再整理した上で、通常戦力の役割を一層拡大していく視点が重要となろう。
換言すれば、抑止体系全体に占める核兵器の役割を相対的に縮減しつつ、通常戦力を中心とした抑止態勢へと漸進的に移行していくことが求められる。
これは、日米同盟における拡大核抑止の否定を意味するものではない。むしろ、通常戦力による拒否的抑止及び限定的な懲罰的抑止を強化することによって、核兵器への過度な依存を避けながら抑止の実効性を高める試みである。その意味で、日本政府が従来から掲げてきた「核兵器の役割の低減」という目標は、軍縮・不拡散政策の文脈にとどまらず、防衛力整備や抑止戦略のあり方とも整合的に追求されるべき課題であろう。
日本が目指すべき方向性は、米国の核戦力への依存を無条件に強化することではなく、強化された通常戦力を抑止の中核に据え、その上で拡大核抑止を補完的な安全保障手段として位置付けることである。そうした抑止体系の構築こそが、核兵器の役割を低減しながら安全保障を確保するという、一見両立困難に見える課題に対する現実的な解答となるのではないだろうか。
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