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2015-06-24 00:00
「半可通」にはわからない安全保障の機微
小林 正巳
会社役員
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)は、数々のアフォリズムを遺していますが、その一つに次ぎのようなものがあります。「半可通は全知よりも圧倒的勝利を博する。それは物事を実際よりも単純に理解し、そのために彼の意見の方が分かりやすい説得力のあるものとなるからである」。昨今の安保法制論議をみていて、私はこのニーチェのアフォリズムを思い出さざるを得ませんでした。憲法学者が一連の安保法制を違憲と断じ、それで事足れりとした一件は、まさしくニーチェがいう「半可通」がのさばった典型例ではないでしょうか。
安全保障とは、申すまでもなく国の存亡にかかわる事柄ですから、憲法の条文をめぐる訓詁学的な論議に終始して済む話ではありえません。安全保障論は、ニーチェ的に言えば「全知」、現代的に表現すれば「総合知」に属する事柄といえます。憲法論議はそのごく一部にすぎないのです。しかし「半可通」の意見の「わかりやすさ」は曲者です。現に、左派メディアを中心に、憲法学者らのその参考意見を、鬼の首をとったかのごとく祀り上げる動きが出ているではないですか。本来、憲法学者にはそんな「半可通」であっていただきたくはないのですがね。
そういえば、安保法制論議のからみで、「立憲主義」という言葉を最近よく耳にします。平たくいえば「国家権力はほっておくとロクなことをしないから、憲法でがんじがらめにしてしまおう」という思想です。たしかに民主国家において「立憲主義」は大切な要素でありますが、他方、この思想だけで突っ走ってしまうと、国家権力を窒息させ、国家権力でしかなしえない創造的な働きすら否定しかねない、という自己矛盾をきたしてしまいます。これも「半可通」が陥りやすい議論です。そもそもなぜ国家権力は必要か、という肝心の国家権力の「存在理由」が見えていないのです。かように巷には「半可通」の議論が跋扈しています。
「半可通」は「わかりやすさ」で「半可通」を呼び寄せます。そして数の論理をもって「全知」あるいは「総合知」を脅かします。これは現代民主主義の大きな問題かもしれません。国家権力の中枢におられる政治家や官僚の皆さんは、「総合知」をもって大所高所の判断を迫られる一方、「半可通」らによって批判の集中砲火を浴びせられますから、まったくもってご苦労なことだと思います。しかし、ブレてはいけません。「総合知」で勝負される政治家や官僚の皆さんには、ぜひとも安全保障問題の「わかりにくさ」を真正面から国民に訴え、「わかりやすさ」の胡散臭さを明るみに出していただきたいものです。
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