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2006-12-05 00:00
核論議の封殺を戒める
秋元一峰
海洋問題研究者、元海将補
自民党の中川昭一政調会長の発言に端を発した「核議論」は、幕引きを図る政府・与党の意向に反して、民間では活発な議論が展開されている。産経新聞を始め全国紙の紙面で様々な論が開陳され、「核持ち込ませず」の解釈に係わる建設的な意見や、11月17日付け産経新聞「正論」欄に載った「レンタル核」なる一考に値する奇策の提言もある。本「百花斉放」にも健全な意見が投稿されている。10月20日には、伊藤憲一氏が”Never say never”、”to think unthinkable”の言葉を紹介している。議論の封殺は戒めるべきだ。
安全保障政策は方程式のようなものだと思う。そこには定数と変数がある。日本の安全保障政策の定数は日米同盟やNPT体制等、変数は拡張する中国との関係や中東情勢等だろう。しかし、安全保障の世界では、自然科学のように定数が不変的に定数ではなく、往々にして変数に変わる。一連の「核論議」の中には、定数が不変であるかのような前提に立った議論が多いように見受けられる。
拙い持論であるが、「海洋世界」に不変的定数はない。歴史上、海洋世界には何度かパラダイムシフトが生じた。地中海の「閉鎖海洋世界」が大航海時代に入って「ビッグバン海洋世界」になり、発見=占有の法システムによって「第一次グローバル化海洋世界」が生まれ、それが通商の拡大の中で「自由海洋世界」になった。第二次大戦と冷戦の間には「覇権海洋世界」が生じ、今「第二次グローバル化海洋世界」が広がっている。パラダイムシフトと共に、国際的(Inter-national だが、近代領域主権国家以前および現代では、Inter-GroupやInter-Identityと称した方が適切)な戦略的枠組や取極もまた変化した。利権と安全を巡り、合従連衡に組み替えが生じた。海洋世界ではパラダイムシフトに伴って定数が変数になる歴史が繰り返されてきた。
国際安全保障や大国の核戦略も同じではないか。冷戦時代、核のオーバーキルが米ソの相互破壊を確証する中で、均衡が保たれ、軍備管理が進み、それが冷戦を冷戦ならしめた。「百花斉放」への10月23日付け投稿のなかで大蔵雄之助氏が謂うように、NPTは他に例を見ない地球規模の不平等条約ではあろうが、核保有国の定数化が核戦略を単純化し、安全保障環境を安定化してきた面はあるだろう。しかし今、国際安全保障には、既存の核理論を覆す程の大きなパラダイムシフトが生じつつあるように思えてならない。中国の拡張が静かながら戦略環境に大変動を齎し、アフガニスタンとイラクの混沌が中東とイスラム世界にパワーシフトを生じさせ、トーマス・バーネットが唱えるように、グローバル化世界とギャップ世界の隙間でテロと無頼国家が大国に挑戦を挑んでいる(邦訳本『戦争はなぜ必要か』)。角田勝彦氏の提起する類型「乱世」への道(10月30日付け「百花斉放」)かもしれない。
NPT体制の国際的合意、核の傘の保証、といった現状の定数が変数と化す時代が来ることはあり得ないだろうか?NATOは欧州の核を如何に集団的に管理してきたか、ドゴールの核政策は何故生まれ、どのように機能したか、東アジアにどのような核理論が生まれるか等々について、より幅広く、奥深く議論すべき時期にあると思う。あまりに長大な時間軸を持ち出すと議論が哲学的になり、足元の大事なことを無視してしまうことになるが、既存の前提に固執する思考の壁は取り払うべきだろう。そのような議論を通して、日米安保やNPT体制を定数として固定することがいかに重要であるかを再認識することができるかもしれない。
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