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2006-12-04 00:00
連載投稿(3)対外発信不在だった日本の反論
太田正利
元駐南アフリカ大使
この南京事件が脚光を浴びたのは「東京裁判」を以て嚆矢とする。それが中国側の宣伝で今では30万人虐殺説になり、この数字が一人歩きすることになった。最近になって鈴木明氏、東中野修道教授などの精力的かつ「実証的」著作により、虐殺説の誤りなることが白日の下に曝されるようになった。そもそも、このような議論のためには、「一次資料」(伝聞資料は不可)、当時の地図の検証と当時有効な戦時国際法からの分析が不可欠なのである。かかる丹念な事実追求が東中野教授の『「南京虐殺」の徹底検証』(平成10年)として結実した。さらに立派な英訳本もある。幸いなことに、筆者も多少の関係を有する「東京財団」がこの英訳本2,000冊程度を米国に頒布するプロジェクトを行った由。
開国外交以来日本人が外国語に期待したのは、この学習を通じての西欧文物の日本移植だった。彼らは「英語を学ぶ」のではなく、「英語で外国を学んだ」のである。そして輸入した先進国の文物を換骨奪胎して自家薬籠中のものとした。大成功。大学の教壇に立つのは日本人教授が当たり前という位になった。しかしながら、問題なのは一段落した外国語の学習の結果を利用して外交に発信する力が成長しなかったことである。明治時代はまだ例外で、岡倉天心、新渡戸稲造などの著書は、英語としても立派なもので世界に日本を知らしめる好著となった。日露戦争当時、日本の立場を説明するためアメリカに派遣された金子堅太郎などの活躍が特記される。
だが、その後海外で論陣を張った日本人の記憶があまりない。他方、インド(タゴール、ネルーなど)、フィンランド、ポーランド、トルコなどでは、日本の勝利を歓迎する論陣を張ってくれた。たまたま11月29日に近々離任予定のウナイドゥン駐日大使に会ったところ、彼女は「トルコでは日露戦争、特に日本海海戦における日本の勝利に歓喜した。だから、『東郷通り』など『東郷』の名を冠したものが多い。海軍国であるイギリスはネルソン提督の再来とすら言っているよ」と語っていた。かかる英雄を教科書に載せないのは、日本だけではないか?日清・日露は日本の侵略の一環などというケチな後講釈はなかった。(つづく)
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