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2006-11-29 00:00
今こそ日本の対露認識を改めるべきだ
杉村幸平
会社員
最近、ロシア国内で反体制派ジャーナリストのポリトコフスカヤが暗殺されたのにつづき、同じく反体制派のロシアの元諜報機関員リトビネンコが亡命先の英国で毒殺された。これらの事件の裏側にはロシア国家の政治文化の暴力性が見え隠れする。即ち、冷戦崩壊後のロシアを、国内では民主化が進み、国際社会では多国間協調を指向していると受け止めて、評価しているひとがいるが、それは錯覚である。ロシア国家の本質は冷戦期と全く相違ない。それどころか、プーチン政権下のロシアは、エリツィン時代の混乱から立ち直り、国内ではシロビキと言われる武力官庁(とくに旧KGB)出身者の独裁体制を敷き、外交面ではエネルギー資源を梃子にして露骨な力の外交政策を繰り広げている。ロシア国家の本質については、伊藤憲一日本国際フォーラム理事長の持論である「力治国家」説が正しいと思う。内政ではユコス社没収事件、外政では第2次チェチェン侵攻事件あたりから、プーチン・ロシアの「力治」性ははっきりしてきたと思う。
どこの国でも政治は権力闘争であるが、ロシアの場合に問題なのは、その権力なるものが、むき出しの暴力であることだ。それは内政・外交両面でロシア国家の行動原理になっている。へドレー・ブルは国際社会を「アナーキカル・ソサイエティ」と表現したが、この「アナーキカル」の捉え方には、(1)「無政府の」という意味と(2)「無秩序の」という意味の二つの捉え方がある。即ち、(1)「世界政府は存在しなくても、世界には一定の守られなければならない規範がある」という捉え方と、(2)「国際社会においては、最後には暴力がすべてであり、主権国家間には守るべき規範も約束も存在しない」という捉え方である。ロシア国家が、まさしく(2)の世界観、国家観の持ち主であることは間違いない。そしてこのようなロシア外交の「力の崇拝」は、その内政における「力の崇拝」から派生したものであり、ソ連時代、帝政時代に遡るロシアの伝統的な政治文化に深く根ざしていることを知らなければならない。
上述のようなロシアの「政治文化」がロシア国家にどのような外交政策の選択肢を提供しているかと言えば、それは「法と正義」を嘲笑い、「力がすべて」と誇示する外交に他ならない。強い相手(かつてのナチス・ドイツや冷戦期そして今日の米国など)には卑屈なくらい弱腰になるが、弱い相手(かつてのバルト3国や冷戦期の東欧諸国、そして今日のチェチェンなど)には嵩にかかった残虐無残な高圧的外交となる。それは「無秩序な社会の中では露骨なパワーのみが秩序を決めるのであり、それ以外の選択肢は外交政策から排除される」との考え方によるものであろう。翻って、我が国の対露認識をみれば、性善説に立ったロシア像が広く描き出されている。われわれが妥協すればロシアも譲歩してくれるはずだなどの根拠なき楽観論で、北方領土問題を論ずる政治家もいる。この事件を契機にして我が国も対露認識を改めなければ、国益を大きく損なう恐れがあると感じざるを得ない。
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