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2012-11-06 00:00
政治リーダーシップ論
河野 勝
早稲田大学政治経済学術院教授
まず私は、政治学の研究者として、とくに日本の政治学者(政治学者を自称する人たちも含む)が書いたものの中で、学術的に読むに耐えうるリーダーシップ論に出会ったことがない。たいていは、属人的な「お話」にとどまって、せいぜい「類型化」をしているぐらいである。しかし、類型化はdescriptive exerciseであってtheoretical exerciseではない。私たちが翻訳したウォルツの本の中に、イギリスとアメリカのリーダーを比較した論考が含まれており、もちろん時代遅れではあるが、それでもちまたに溢れるリーダー論よりはよっぽど面白い。
また、リーダーを語るからには、そのリーダーの個人的属性について語るべきなのであり、たとえば理念とか政策とかを持ち出すのはおかしい。理念や政策は、そのリーダーが属している政党や団体の属性である。だから、「リーダーを選ぶ基準として理念や政策を大事にする」というのは、私には理解できない。
次に、これは誰かが話していた言葉の受け売りだが、「優れたリーダーというのは、その人でなければできない」という能力をもっていることが、もっとも重要な基準になるのではないか、と思う。集められる限りの情報を集めさえすれば、その中から自ずと答えが出てくるような意思決定に、リーダーは要らない。集められる情報をすべて集めるという体制を整えることは、もちろん重要だが、それは「その人でなければできない」ことではない。その人でなければできない決断というのは、集められる情報をすべて集めた上でも答えが自ずと出ないときに、はじめて必要となる。そのような場合でも、自分はこっちの方が正しいという判断が何らかの根拠によってでき、しかもそれをまわりの人に納得させることができる能力、それが本当のリーダーに必要とされる資質だと思う。
最後に、日本では、政治のリーダーを選ぶ際、プライベートなことがあまり開示されていない。しかし、リーダーを選ぶというのは、繰り返すが、個人的な属性を選ぶことなのであるから、いったいその人がどういう人に愛されているのか、どういう家庭を築いているのか、といったことも重要な判断基準になると思う。ミッシェル・オバマが“I have seen firsthand that being president doesn\'t change who you are-it reveals who you are”と、愛情こめていったとき、ああオバマさんはやっぱりブレない人なんだ、ということが説得力をもって伝わってくる。政治家のプライベートなこと、とくに首相になるかもしれないような人たちのそのような部分を、日本では、二流週刊誌でなく、主流のメディアでもどんどん取り上げるべきだと思う。
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