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2011-07-29 00:00
原発は元々再生可能エネルギー実用化までの「つなぎ」だったはず
荒木 福則
無職
原子力発電には再生可能エネルギー実用化までの「つなぎ」という位置付けが元々あったことを思い出そう。私は、オイルショック後の70年代中頃、ある石油会社でエネルギーの長期需給予測に携わったことがある。石油の枯渇と公害問題が叫ばれる中、日本は外国に拘束されない、しかもクリーンなエネルギーの比率を増やしたかった。この候補は原発と再生可能エネルギーの2つであり、原発の危険性が相当心配されたことは、今と殆ど同じだった。違っていたのは、再生可能エネルギーが経済性の点で実用化にほど遠かったことと、GNP数値に対する妄信があったことである。やむない苦渋の原発推進だった。従って、原発は再生可能エネルギーの可能性に本来的に従属しており、将来クリアされれば当然に、それに代替されるものと国民が思うのは、自然だった。政府や供給側がどう言おうが、一般国民は原発を永続的に受入れたわけではなかった。
このことを当時の論議の中で「原発は過渡的」という意味で、再生可能エネルギー実用化までの「つなぎ」というふうに言った。この無形の社会的了解がなければ、地震国で、国土が狭く、しかも原爆被投下国に住む日本人が、使用済み核燃料の取扱技術も未完成のままの原発の増加を許すわけがなかった。「つなぎ」の期間は、人それぞれで、「安全」と言い張った者は長く捉え、中にはその間に「あわよくば安全が証明され、永続する」と考える者さえいた。そして、再生可能エネルギーの開発はなおざりにされた。
「つなぎ」の期間が実は短かかったことと、「つなぎ」の終末は彼らが言ったことに反して困難を極めるということ、この2つの事こそが、本当に直視し、立ち向かうべき問題なのである。何故なら、使用済み核燃料の処理と処分については、未だに安全を担保する技術として見通しがたっておらず、「つなぎ」の期間に産出し続けた危険な使用済み燃料をこれからも抱え込むことになりかねないからである。そして、福島原発事故で、人間の慣れによる油断は、相手が原発であっても生じてしまうことがはっきりしたからである。油断とそれが顕在化する機会は「つなぎ」の期間が長くなるほど増える。そして何よりも、再生可能エネルギーの実用普及の可能性は、苦渋の原発推進の当時からすれば夢のように高くなり、いまや原発代替に舵を切ることは十分に可能だからである。小家のエネルギーは太陽光パネルとエコキュートで完全自給化されており、その設備費は補助金や買取マークアップの優遇を考慮しなくても従来の光熱費以下の月額である。
危険のつけを子孫にまわすことは、お金のつけを子孫にまわすことに比べるべくもなく、やってはならないことである。原発は元々「つなぎ」だったことを原点に返って思い出せば、「原発継続か、廃止か」という争論は起こりようもなく、「つなぎ」の役割を終えることができるならば、それに越したことはないのである。
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