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2025-04-24 00:17

「自由主義のトリレンマ」とトランプ大統領

関山 健 京都大学大学院教授
 国際経済では、これまで、ロバート・マンデル氏による「国際金融のトリレンマ」(自由な資本移動、独立した金融政策、為替相場の安定の3つは同時達成不可能)や、ダニ・ロドリック氏による「国際政治経済のトリレンマ」(国家主権、グローバル化、民主主義の3つは同時達成不可能)が指摘されてきた。
 
 この点、トランプ政権の関税政策は、現代の先進国が、自由貿易、民主主義、国内の安定繁栄という3つを同時には達成できないという「自由主義のトリレンマ」に直面しつつあることを表しているのではないだろうか。
 
 比較優位論によれば、自由貿易は各国に利益をもたらす。この比較優位論は、労働者が速やかに産業間を移動することが暗黙の前提となっている。
 
 しかし現実には、産業の転換、経済社会の変化、比較優位の変化が速すぎ、それに労働者の適応が追い付いていけないことが少なくない。
 
 かつては日本に、今は中国に追い上げられ比較優位を失った米国製造業の白人労働者は、経済学者が想定するようにスムーズにはIT産業などには移動できず、不満を貯めている。彼らは、DEI(多様性、公平性、包摂性)という経済社会の変化にも職を奪われる立場にあり、その速すぎる変化にも不満を貯めている。
 
 その労働者の不満が選挙という民主主義の仕組みによって政策に反映された結果が、トランプ政権の関税政策や反DEI政策である。もし、その不満が民主主義によって吸い上げられなければ、不満は爆発して遂には国内社会の繁栄安定が損なわれることもあるだろう。これが、筆者の考える「自由主義のトリレンマ」である。
 
 トランプ大統領がどこまで本気で戦後国際経済秩序の転換を目指しているのかは分からないが、その関税政策は、「自由主義のトリレンマ」をもたらす「自由貿易による速すぎる産業転換」を、労働者の人生が適応できる程度にペースダウンさせるものと理解できるのではないかと思う。言い換えれば、GDPの成長率を犠牲にして、国内社会(の成長から取り残される人々)の安定を優先するものと言える。
 
 この点、日本は、自由貿易と民主主義を維持しつつも、超低金利政策が産業転換を結果的に抑制し、日本型雇用慣行が労働移動を阻害することで、国内の繁栄(労働者の賃金上昇)を犠牲にしてきた例と言える。
 
 トランプ政権の政策は、国際的に見れば、ブレトン・ウッズ体制という「埋め込まれた自由主義」の第3次調整を狙っているものと見ることもできる。ブレトン・ウッズ体制は、自由貿易(GATT/WTO)、為替安定(IMF)、途上国支援(世銀)によって世界経済の成長を促進し、もって平和を実現しようとするものである。
 
 それを支えた柱の一つである金・ドル交換の固定相場制はニクソン・ショック(第1次調整)で放棄され、プラザ合意によって第2次調整が加えられたが、ブレトン・ウッズの趣旨と体制は今も維持されている。
 
 ところがトランプ大統領は、WTOを無視して自由貿易に制限をかけ、ドル高の是正を働きかけ、USAIDの解体や国際機関活動からの後退により途上国支援からも手を引こうとしている。これは、ブレトン・ウッズ体制の根本的否定である。その背景には、上述のとおり、ブレトン・ウッズ体制の自由主義がもたらす世界経済の変化の速さについていけない米国内の労働者という存在がある。
 
 また、トランプ政権による政策転換によって、脱炭素の機運も国際的に急速にペースダウンしている。産業界には、脱炭素の短期的コストを免れることを歓迎する向きもあるのかもしれないが、これによって気候変動の深刻化が一層早まることは忘れてはならない。
 
 自由貿易の制限も、気候変動の深刻化も、一番大きな影響を受けるのは、たとえば東南アジア諸国のような途上国である。
 
 日本も、エネルギーも食料も成長市場も海外に依存する以上、自由貿易の停滞や途上国経済の低迷からの影響は甚大である。日本としては、米国以外のすべての国々と自由貿易を維持し、脱炭素の取り組みを進めるリーダーシップを発揮してほしい。
 
 その際、米国を批判したところで得るものはない。経済社会の変化が加速しているなか、海外に必ずしも依存する必要のない米国のモンロー主義は、トランプ大統領の退任後も、たびたび表出するだろう。米国の時の政権が自由貿易の仲間になりたいときは受け入れ、去りたいときは非難しない。米国は、そういうものだと割り切って、付き合っていくことが必要だろう。
 
 日本は、自由貿易、民主主義、国内労働者の厚生いずれも放棄することはできない。これら3つが同時達成困難になるのは、比較優位の変化のスピードに労働者の適応が追い付かないからである。ならば、リカレント・リスキリング教育、労働規制緩和、失業セーフティネットの充実などで競争力のある(比較優位のある)産業への労働移動を後押しし、自由貿易の下でも労働者が厚生を高められる社会にするしかない。
 
 少子高齢化で人手不足が今後恒常化する日本は、労働者の厚生を維持向上するのに有利な立場にあるとも言える。世界が「自由主義のトリレンマ」に翻弄されるならば、日本はこれをうまく乗り越え再興の契機としたい。
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