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2022-06-15 21:21

(連載1)ロシア・ウクライナ戦争をめぐる言葉遣い

篠田 英朗 東京外国語大学大学院教授
 ロシア・ウクライナ戦争が長期化してくるにつれて、概念構成をめぐる議論も引き起こされている。この種の深刻な政治問題は、言葉遣いを間違えるだけで、意図せず政治的な立場の表明をしてしまうことになりかねず、慎重さが必要である。ウクライナ政府関係者に、ロイターが言葉遣いを添削される場面があった。確かに、ロシア軍に軍事占領されたヘルソンのことを「親モスクワのヘルソン」などと表記してしまったら、もともと存在していた親露派の勢力が支配的である地域のことかと見間違えてしまう。軍事占領者と被占領者の関係が、占領地域における政治情勢の基本構図だとすると、それを「軍人・市民関係」などと言い換えてしまったら、占領地の実情を無視して中立的な言い方を取り繕っていると批判されるだろう。日本の「どっちもどっち」「ロシアにも正義がある」論者の方々にしてみれば、占領を強調するのは、ウクライナ寄りの言い方だ、ということになるかもしれない。しかし表層的な言葉遣いで占領の現実を覆い隠すとしたら、それはもはや「どっちもどっち」ですらなく、単にロシア寄りである。面倒なようだが、政治情勢が複雑な地域の状況を、言葉で概念構成していくのは、たやすい作業ではない。それはウクライナだけのことではなく、パレスチナであろうが、アフガニスタンであろうが、エチオピアであろうが、同じである。
 
 「ロシア・ウクライナ戦争」という私が使っている表現は、決して私だけが使っているわけでもないが、日本ではあまり多用されていない。「ウクライナ戦争」と表記してしまう場合が、かなり支配的になってきている。英語圏では「Russo Ukraine War」という言い方がより広く用いられている。もっとも、それでも「Ukraine War」と言われてしまうことがあるため、抗議の声が上がっていたりする。恐らく戦争の実際の戦場がウクライナ領に限定されているため、「ウクライナ戦争」と短くまとめてしまいたい方がいるのだろうが、ロシアの侵略攻撃によって始まった戦争の部分を「ウクライナ戦争」とまとめてしまうのは、かなり思い切った概念設定である。最近は主権国家同士の戦争は稀になっているが、近年の代表例としては、「エチオピア・エリトリア戦争」がある。エリトリアがエチオピアから分離独立した直後に発生した国家間紛争であったが、エリトリアが独立国家として存在していることに留意をした、「エチオピア・エリトリア戦争」という言い方が定着している。
 
 私は世界の大多数を占める内戦を観察していることのほうが多いので、一国の名前だけをとった名称は、内戦向きであるような気がしてならない。「シエラレオネ内戦」「ルワンダ内戦」のようなものが代表例である。明らかに国際的な紛争の性格を持っているにもかかわらず、一つの地域の名称だけで戦争が呼称されていることはある。「朝鮮戦争」や「ベトナム戦争」などである。これは戦争の基本構図が、当該地域の複数の勢力の間の敵対関係によって作られている、という理解を示している。内戦に外国勢力が介入してくることは、頻繁にある。それでも基本構図は、当該地域に特化した勢力の間の敵対関係によって作られている、という理解がある場合には、いちいち介入した諸国の名称を並べるようなやり方で戦争を呼称したりはしない。
 
 国連安保理が発動した集団安全保障の権威を持った多国籍軍がイラクと敵対することを強調する場合に「湾岸戦争」と地域の名称を前面に出した言い方が好まれた場合もある。戦争の基本構図は、国際社会vsイラクだ、という基本理解を意識した名称だろう。(つづく)
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