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2020-11-17 20:53

(連載1)コロナの「波」という概念の「物象化」について

篠田 英朗 東京外国語大学大学院教授
 11月9日、尾身茂・分科会会長の記者会見が久しぶりに開かれた。感染拡大傾向に入っているので、警戒心を持って取り組みたい、ということで、政府に行った対策提言の細かな説明がなされた。これに対して、質疑応答では、いつものように、生産的ではないやり取りが繰り返された。記者から「第2波と同じ波が来るのか」「欧米と同じ波が来るのか」といった質問が相次ぎ、尾身会長や脇田(国立感染症研究所)所長から「寒くなったら拡大するという見方にエビデンスはない、そういう傾向があるとしても今日語っているのは人間のファクターが大きいということ」という説明が繰り返された。記者たちは、相変わらず専門家に気象予報士のような役回りを期待しているらしい。あるいは西浦主義の余韻だろうか。「42万人死ぬ、もし8割削減すれば撲滅できる、中間はない」という考え方がこびりついてしまっているらしい。記者たちに限らず、気になるのは、新型コロナウイルスの流行に「波」があることが当然視されていることだ。冬を迎える日本には「第3波」が到来している、ということらしい。それでしきりに人々が、「第3波は大きいのか小さいのか」云々といったことを心配しあっているのである。社会科学者として痛切に感じるのは、この「波」という概念が「物象化」されて独り歩きしているということだ。あたかも海の波と同じような自然現象であるかのように捉えられてしまっている。
 
 しかし、言うまでもなく、ウイルス感染の「波」は、単なる比喩の表現でしかない。自然現象としての海で起こる本当の「波」は、人間が関知することなく発生する。たまたま人間のいるところを襲ったりするだけだ。これに対してウイルスの流行は、人間が自分たちで作り出している現象である。ただ、意図せず無意識のうちに作り出しているだけで、人間的な営みの結果として流行が発生することに違いはない。実際には、「波」など存在していない。存在しているのは、ウイルスを伝播させている人間の活動だ。
 
 物理的には存在していない事柄を、抽象概念で表現しているうちに、あたかも物理的に存在しているかのように誤認していくのは、社会科学者が「物象化」と呼ぶ錯誤である。かつてマルクスは、人間の労働という具体的な行為が商品経済を通じて法則化されて人間を支配していく「物象化」を、資本主義のメカニズムの中に見出した。その後、「物象化」は、具体的な人間の行為の総体が抽象化されて人間を支配するようになる現象一般を指す言葉として、使用されるようになった。ニーチェは、「雷が光る」という言い方は間違いで、「光っているのが雷だ(ある種の光の現象を人間は雷と呼んでいる)」と言うのが正しいと指摘し、人間の暴力的な抽象化思考が主語にならないものを主語にして人間の思考を支配している有様を、そして主語を隠ぺいすることによって人間が認識者としての自らの行為の介在も隠ぺいしてしまう偽善を、指摘した。
 
 難しい話は置いておこう。要点は、「波」は自然現象ではなく、人間的な営みだ、ということである。ウイルスが人間社会に侵入すると、人間の行動を通じて、人間の間で、ウイルスの伝播が広がる。「第1波」だ。そこで流行を抑制する行動を人間がとると、「第1波」が終了する。ところが抑制行動を緩和させると、「第2波」が到来する。そこで抑制行動をさらに調整すると、「第2波」が終了する。このプロセスが繰り返されるのが、「波」という比喩を用いてグラフ上で可視化させている現象である。「第3波」の場合、たとえば冬を迎えて窓の開閉を面倒がって喚起しなくなることが感染の拡大傾向に影響しているとしたら、暖房方法の改善という政策努力で、「波」は抑制可能である。(つづく)
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