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2020-10-05 11:55

(連載1)日本学術会議問題、法的論点から問う

篠田 英朗 東京外国語大学大学院教授
 日本学術会議会員の任命拒否問題が大きな話題となっている。ここでは法的問題についてだけ、少し書いておきたい。というのは、菅首相によって任命拒否された6名の方々の中心が法律分野の方々であるのに対して、当事者の方々を含めた法律家の方々が真っ向から一斉に反政府運動を行い始めた、という構図が見え始めているからだ。任命拒否された6名の中でも、政治学者の宇野重規教授が「何も語ることはありません」というコメントを出しているのに対して、法学者の当事者の方々は一斉に自ら政権批判を展開している。鮮明なコントラストだ。背景に、2015年安保法制の際の憲法学者を中心とする方々の集団的な反政府運動の経験がある。法学者の方々自身が、党派的対立の当事者だ。そうだとすれば、まず心配しなければならないのは、果たして客観的な法律論が行われるかどうか、だろう。このような党派的対立の中で最も損をするのは、健全な情報にもとづいて考える機会を与えられるべき一般国民だ。この点については、私自身もある種の思い入れがある。集団自衛権の合憲性を論じ、日本の憲法学の批判を行った一連の著作(『集団的自衛権の思想史』『ほんとうの憲法』『憲法学の病』『はじめての憲法』)を通じて、日本の憲法学の憲法解釈の問題性を、人事制度の慣行まで視野に入れて議論しようとした。しかし、数名の良心的な方々を除けば、法律家の方々からは完全無視を貫かれている。今回のこの文章も同じように扱われるのだろう。だがそう思うからこそ、やはり一言書いておかざるをえないという気持ちがしてきている。
 
 日本国憲法23条は「学問の自由は、これを保障する」と定める。これは一連の基本的人権の保障の規定の中で定められている条項である。学問の「自由」の保障は、思想・良心・信教・表現・職業選択の「自由」と列挙され、いわゆる「自由権」規定群の日本国憲法が定める基本的人権の一つを形成している。ここで憲法が保護している法的利益は、個人の尊厳である。学問を自由な追求が許されなければ、個人の尊厳は守れない。この人権規定によって保護されている「学問」とは、大学でお給料をもらっている人々の特権的地位を保障する何ものかではなく、もっと広く全ての国民の個人の尊厳を形成する精神的活動のことを指しているはずだ。そのように保護法益が個人の尊厳である人権規定を根拠にして、ある組織体の完全独立性を主張することは、果たして可能だろうか。その組織が人権保障に不可欠である場合、可能だろう。そうでなければ、不可能だ。内閣総理大臣が、自らが「所轄」する組織(日本学術会議法1条2)の自らが任命権を持つ(同法17条)会員の任命にあたって、推薦を拒絶してはならないという主張が、基本的人権によって論証されるという主張は、控えめに言って、理解が困難だ。高度な論証責任は、むしろ内閣総理大臣の裁量を禁じる側の方にあると言っていい。
 
 かつて大日本帝国憲法(明治憲法)をめぐって、「統帥権」と呼ばれた概念をめぐる議論があった。その根拠は、「第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という短い規定であった。これは、本来は、明治憲法における天皇を最高指揮官とする軍隊の指揮命令系統を法的に定めたものだ。ところが、米英に譲歩をして1930年ロンドン海軍軍縮条約の締結にこぎつけた浜口雄幸内閣を拒絶し、軍部の超然性を主張するために、軍部指導者層が持ち出したのが11条を根拠にした「内閣は統帥権を干犯できない」という主張であった。明らかに、当時の軍部指導者層は、11条を拡大解釈して、自らの特権確保に都合の良いように濫用したのである。これについて、野党やメディアは、浜口内閣を攻撃するのに好都合と考え、「統帥権干犯」を非難する論陣に加わった。戦前の日本を破綻させた大きなきっかけは、独善的な軍部指導者層と、日和見的な野党政治家とメディアの「統帥権干犯問題」をめぐる無責任な態度だった。今回の事件で菅内閣を批判する論者の中に、「このままでは戦前の復活だ」といった昭和に使い古された議論を用いる方が目立つ。しかし「学問の自由干犯」の主張が、「統帥権干犯」の主張と同じ党派的な憲法の拡大解釈の精神構造によって生まれていないか、よく考えてみるべきだ。
 
 安保法制違憲論の急先鋒の一人であった憲法学者の木村草太教授は、今回の問題について、次のように主張して、政府を批判している。「憲法23条が保障する学問の自由には、『個人が国家から介入を受けずに学問ができること』と、『公私を問わず研究職や学術機関が、政治的な介入を受けず自律すること』の二つが含まれる。学術の観点から提言をする日本学術会議は、学術機関の一種だ。憲法23条は『公的学術機関による人選の自律』も保障しており、今回の人事介入は学術会議の自律を侵害している。学問の自由に、公的研究職や学術機関の自律が含まれるのは、一般的な解釈だ。」私にとっては久しぶりの木村節だ。教科書レベルの一般論の陳述の後に、根拠不明な「日本学術会議は、学術機関の一種だ」という断定と、「一般的な解釈だ」という多数派・通説の側にいるのが自分だという権威主義を織り交ぜて、結論が自明であるかのような印象を作り出す。いつもの木村教授の議論の方法である。しかし、「わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし」、「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする」(日本学術会議法前文・2条)という政治的性格を持つがゆえに「内閣総理大臣の所轄」(同法1条2)となっている日本学術会議は、果たして言葉の正確な意味での学術機関であろうか。果たして基本的人権としての「学問の自由」を根拠にして、不可侵の独立性を憲法によって保障されている組織だと言えるだろうか。相当に怪しいように思わざるを得ない。(つづく)
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