国際問題 外交問題 国際政治|e-論壇「百花斉放」
ホーム  新規投稿 
検索 
お問合わせ 
2019-05-22 20:17

ギリシャ・ドイツ関係と戦後ドイツの「神話」

袴田 茂樹 日本国際フォーラム評議員
 わが国の戦時中の行動に対する反省問題が、しばしばドイツと比較されて、日本は誠実に反省・賠償をしてきたドイツに見習うべきだと批判されることが多い。ナチス・ドイツが近隣諸国に与えた被害に対して、戦後西ドイツや統一ドイツは誠意をもってお詫びをし、損害賠償も誠実に行った、との論である。このような見解は、日本の近隣諸国だけでなく、わが国の論壇やメディアでも「常識」と化していた。これに対して、近年欧州でドイツに対する反発や、戦時中の補償を求める動きが出ていることを無視することは出来ない。ドイツ批判は2009年頃、ギリシャやスペイン、イタリア、ポルトガル、アイルランドなどの財政危機が表面化した時、欧州通貨ユーロが危機に陥り、欧州連合(EU)が救済措置に乗り出したことに関係している。その救済措置の経済負担を最も大きく背負うドイツが、これらの国に対して放漫財政を批判し福祉予算や公務員の削減など緊縮財政を強く求めたことが、ドイツ批判の背景となっているのだ。後述のように、欧州各国の経済停滞とポピュリズムの台頭も無関係ではない。
 
 このような背景のもとに、ギリシャは2010年以後、第2次大戦中にギリシャがドイツから受けた被害の補償要求を提起してきた。しかしドイツは、ドイツが再統一した1990年に、ギリシャ政府も承認した「ドイツ最終規定条約(2プラス4条約)」でこの問題は完全に解決済みだとして、一貫して要求を拒否してきた。2009年にギリシャをはじめとする欧州諸国の財政危機が表面化した後、2012年10月にメルケル首相が危機後初めてギリシャを訪問した。この時、アテネでは約3万人のドイツ批判デモが起き、メルケルをヒトラーになぞらえて「第4帝国にノー」などと書かれた横断幕も掲げられた。翌年4月にはロイター通信も、「ギリシャやスペインの失業者がなぜメルケル首相を<新たなヒトラー>と揶揄するのか」と報じた。2015年には、ギリシャはナチス・ドイツによる被害の賠償金として日本円で約36兆円を求めたが、ドイツ政府は1960年に1億1500万独マルクの支払いでギリシャへの義務は果たしているとし、また「ドイツ最終規定条約」も根拠にして要求を拒否した。当時、ドイツのガブリエル経済相も「ばかげた要求だ」として取り合わなかった。

 近年では、ギリシャのツィプラス首相が同様の対独要求を掲げている。さらに直近の今年4月17日にはギリシャ議会も、ナチス・ドイツがギリシャを占領していた時(1941年から44年まで)の損害賠償をドイツ政府に要求するツィプラス首相の方針を支持して、正式に賠償要求の議決をした。この背景としては、経済停滞などから生じる国民の不満を他に転嫁するギリシャ政界のポピュリズム的な雰囲気も見え隠れしている。興味深いのは、最近欧州のポピュリズム政党やギリシャとの関係を強めているロシアのメディアも、この問題を次のように報じていることだ。「ドイツ政府はギリシャの賠償金問題は法的にも政治的にも最終的に解決している、と声明していた。ただ、ツィプラス首相自身は、ドイツに対する彼の強気の要求姿勢にも拘わらず、要求が必ずしも実現するとは考えていない。ロシアの欧州問題専門家は、ギリシャ首相の発言は国内向けだと考えている。というのは、ギリシャ国民は自国の経済状況に強い不満を抱いており、政府抗議の雰囲気が高まっているからである。つまり、ツィプラス発言はこの国民の不満を抑えるための、国内向け発言と見ているのだ。この問題は、ハーグの常設仲裁裁判所に持ち込まれる可能性もある。ただ、ロシアの専門家は、この仲裁裁判所においてギリシャが目的を達するとは考えていない。というのは、たとえギリシャに有利な判決が出たとしても、ドイツにそれを強制する力を仲裁裁判所は有していないからだ。」(『独立新聞』2019.4.19)

 ナチス・ドイツがギリシャ占領中に極めて過酷な政策をとったのは事実である。ただ、現在のドイツを、ナチス・ドイツと結びつけて批判するのは、どう考えても無理であり行き過ぎである。同時に「戦後のドイツ人は戦時中の行為を深く反省し戦後の賠償などをすべて誠実に遂行したために、欧州諸国民はドイツ国民を許し好感をもってドイツを受け入れている」というのもまったくの「神話」である。戦後の欧州諸国でも、経済的に繁栄するドイツへの反感や嫉妬、潜在的な対独恐怖症は常に存在していた。ドイツ再統一(1990年)の前に、フランスのミッテラン大統領(1981-1995)が、「私はドイツが大好きなので、大好きなドイツは一つよりも二つあった方が良い」と述べたという小話がある。英国のサッチャー首相もドイツの再統一には反対だった。ただ、現在はポピュリズムや右翼ナショナリズムと結びついて、戦時中や今日のドイツに対するバッシングや賠償要求が浮上しているのだ。現在のギリシャとドイツの関係は、歴史を客観的に認識することの難しさを、アジアのわれわれにも痛感させる。
お名前は本名、またはそれに準ずる自然な呼称の筆名での記載をお願いします。
下記の例を参考にして、なるべく具体的に(固有名詞歓迎)お書き下さい。
(例)会社員、公務員、自営業、団体役員、会社役員、大学教授、高校教員、大学生、医師、主婦、農業、無職 等
メールアドレスは公開されません。
ただし、各投稿者の投稿履歴は投稿時のメールアドレスにより抽出されます。
投稿記事を修正・削除する場合、本人確認のため必要となります。半角10文字以内でご記入下さい。
e-論壇投稿の際の注意事項

1.投稿はいったん管理者の元へ送信され、その確認を経てから掲載されます。
なお、管理者の判断によっては、掲載するe-論壇を『百花斉放』から他のe-論壇『議論百出』または『百家争鳴』のいずれかに振り替えることがありますので、予めご了承ください。

2.投稿された文章は、編集上の都合により、その趣旨を変えない範囲内で、改行や加除修正などの一定の編集ないし修正を施すことがありますので、予めご了承ください。

3.なお、下記に該当する投稿は、掲載をお断りすることがありますので、予めご了承ください。

(1)公序良俗に反する内容の投稿
(2)名誉や社会的信用を毀損するなど、他人に不快感や精神的な損害を与える投稿
(3)他人の知的所有権を侵害する投稿
(4)宣伝や広告に関する投稿
(5)議論を裏付ける根拠がはっきりせず、あるいは論旨が不明である投稿
(6)実質的に同工異曲の投稿が繰り返し投稿される場合
(7)管理者が掲載を不適切と判断するその他の理由のある投稿


4.なお、いったん投稿され、掲載された原稿の撤回(全部削除) は、原則として認めません。
とくに、他人のレスポンス投稿が付いたものは、以後部分的であるか、全部的であるかを問わず、いかなる削除も、修正もいっさい認めません。ただし、部分的な修正については、それを必要とする事情に特別の理由があると編集部で認定される場合は、この限りでありません。

5.投稿者は、投稿された内容及びこれに含まれる知的財産権(著作権法第21条ないし第28条に規定される権利を含む)およびその他の権利(第三者に対して再許諾する権利を含む)につき、それらをe-論壇運営者に対し無償で譲渡することを承諾し、e-論壇運営者あるいはその指定する者に対して、著作者人格権を行使しないことを承諾するものとします。

6.投稿者は、投稿された内容をその後他所において発表する場合は、その内容の出所が当e-論壇であることを明記してください。

 注意事項に同意して、投稿する
記事一覧へ戻る
公益財団法人日本国際フォーラム