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2017-09-07 22:16

(連載1)チキンゲームの果ての「水爆」実験

六辻 彰二  横浜市立大学講師
 9月3日、北朝鮮は6回目の核実験を行い、「ICBM搭載可能な水爆の開発に完全に成功した」と発表。これに対して、日米韓は国連安保理で新たな制裁決議の採択に着手。軍事的な選択に関してトランプ大統領は「そのうち分かる」と含みをもたせています。北朝鮮の核・ミサイルによる挑発と、それに対する封じ込めの応酬により、北朝鮮を取り巻く緊張はこの数ヵ月で加速度的に増してきました。今回の水爆実験は、この応酬にも大きく影響するとみられます。それは日米韓だけでなく、北朝鮮にとっても、これ以上切れるカードが残り少ないことによります。まず、この数ヵ月の米朝の威圧の応酬を確認します。2017年4月、トランプ大統領は化学兵器の使用が疑われていたシリア軍の基地をいきなりミサイルで攻撃。「米国は何をするか分からないから譲歩する方がよい」というメッセージは、オバマ政権時代の「戦略的忍耐」を放棄するという方針でもありました。しかし、「外圧に屈した」とあっては、北朝鮮政府は国内に自らの支配の正当性を主張できず、存続すら危うくなります。そのため、その後も北朝鮮はミサイル発射を続け、7月には米本土に届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験を強行し、8月にはグアム周辺にICBMを4発発射すると宣言しました。ただし、このときはトランプ大統領の「世界史に類をみない炎と怒り」という報復宣言が功を奏したとみえて、北朝鮮は8月29日に北海道の東に向けてミサイルを発射することでお茶を濁しました。そのうえで水爆実験を行い、「ICBMに搭載可能な水爆がある」と米国に認識させたことは、北朝鮮にとって報復が予想されるグアム方面に向けた発射より、安全でありながらも威圧の効果が高い選択だったといえるでしょう。

 北朝鮮は自国の体制の存続を目指し、これを「敵国」米国に承認させることを最優先課題としてきました。他に交渉手段が乏しい北朝鮮にとって、核・ミサイル開発で周囲を困惑させることは、それによって言い分を押し通す手段に他なりません。「何をするかわからない」と思わせ、相手の合理的判断に働きかけて譲歩を迫る構図は「チキンゲーム」と呼ばれます。これに対して、強気が身上のトランプ政権は、威嚇されたら「倍返し」で威嚇し、北朝鮮から主導権を奪い返そうとしてきました。強気で共通するトランプ政権と金正恩体制の組み合わせは、チキンゲームを加速させたといえます。その果ての今回の水爆実験を受けて、安保理ではかなり踏み込んだ制裁が議論されるとみられます。7月の二度のICBM発射を受けて、8月6日に安保理は、石炭の輸出や北朝鮮労働者の新規受け入れの禁止などにより北朝鮮の輸出額を約3分の1に減らす、これまでにない包括的な制裁決議を全会一致で採択。今回の安保理緊急会合では、北朝鮮からの繊維製品の輸出禁止、航空機の乗り入れ禁止、公的機関向けの石油禁輸、海外での北朝鮮労働者のさらなる規制、政府関係者の海外資産凍結と渡航禁止などが焦点になるとみられます。

 これまで北朝鮮への制裁に中ロは消極的でしたが、今回の水爆実験は「合法的な核保有国」としての特権を脅かしかねないだけに、中国、ロシアともに反対の姿勢を示しています。ただし、中ロはその一方で北朝鮮との交渉の必要性も強調しており、制裁決議にどこまでの内容が含まれるかは現状で不明です。とはいえ、いずれにせよ、仮に中ロが制裁に賛成して、先述の内容が安保理決議に全て盛り込まれたとしても、それで全て解決するとはいえません。繰り返しになりますが、北朝鮮政府にとっては「体制の維持」が最優先事項であり、「外圧に屈した」とみられることは避けなければなりません。そのため、その内容が包括的であればあるほど、制裁決議が通れば北朝鮮は次の挑発行動をとることが想定されます。その場合、今回の水爆実験を受けて包括的な経済制裁が採択されれば、各国がとれる選択肢はもはや民間人も対象となる食糧、エネルギーの禁輸しかほとんど残らなくなります。本格的に締め上げて北朝鮮の一般の人々に被害が出れば、かえって結束が強まる恐れがあるばかりか、「窮鼠ネコを噛む」という反応すら懸念されます。日本に太平洋戦争の開戦を決断させた一因は、満州事変後の米国などによる経済封鎖の強化により、経済的に追い詰められたことにありました。その意味において、全面的な制裁にはリスクがあるといえます。

 だとすると、包括的な経済制裁を敷くことは、それが包括的であるほど、次に北朝鮮が挑発行動をとった場合にもうカードがないということになり、その場合に残る選択肢は軍事行動しかなくなります。しかし、北朝鮮に対して実際に軍事行動をとることは、さらなるリスクを呼びます。仮に米国が先制攻撃したとしても、既にICBMだけでなくSLBMも保有している以上、北朝鮮からの報復攻撃を免れることはできません。さらに、仮に首尾よく金正恩体制を打倒したとしても、その場合には既にある核・ミサイルやその技術が飛散する懸念もあります。1991年のソ連崩壊後、米国がロシアへの経済支援を強化した一因には、技術者や軍需物資の流出への警戒がありました。北朝鮮の場合、核開発のプロセスではパキスタンと、ミサイル輸出においてはイランやイエメンと、それぞれ関係をもってきました。金正恩体制という重しがなくなった場合、これらの各国を通じて闇市場に北朝鮮の核・ミサイル技術が流出する可能性は、2003年のイラク侵攻における米国政府の「フセイン政権がアルカイダとつながっている」という主張より、よほど確度が高いといえるでしょう。いずれにせよ、たとえ経済封鎖を通じてであっても、金正恩体制を崩壊させるリスクは難民の流出だけではありません。こうしてみたとき、北朝鮮がICBMと水爆を既に掌中に収めた段階に至っては、これを止める手段は限りなく制限されているといえるでしょう。(つづく)
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