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2012-07-29 12:17

北方領土交渉は「始め!」の前に足元を固めよ

松井 啓  元駐カザフスタン大使
 大統領に復帰したプーチンの北方領土問題に関する「始め!」と「引き分け」発言により、またしても北方領土4島全部の返還に片思い的期待を寄せる向きもあるが、独り相撲に終わらないよう、参考までに現状をロシア側はどう見ているのかを、相手の立場から整理してみた。おおよそ、つぎの6点のようなことになるのではあるまいか。

1.ロシアは1945年9月2日の第2次世界大戦終結までに日本の北方4島を占領し、それ以来実効支配している。そこには日本人は一人も住んでおらす、追い出した元島民は順次亡くなっていくのだから、時はロシアの味方である。日本が軍事力を行使することはあり得ないから、現状放置で何ら問題はない。また、ロシアが実効支配して、ロシア人が生活しているのだから、大統領が訪問しようが、だれが行こうが、日本の抗議は「ロシアの国内問題だ」といって無視すればよい。

2.もめごとの解決、最終的妥結のためには「半々ずつ」の原則がロシアの日常的法則である。バザール商人の原則であり、法的正義の実現は二の次、三の次である。北方領土問題でいえば、4島あるのだから、2島ずつ「引き分け」で解決すればよい、との発想である。1対3とか、2島半とか、面積割とかといった、込み入った理屈はロシア国民には理解(納得)できない。既に1956年の日ソ共同宣言には「平和条約締結後、ソ連が4島のうち2島(歯舞、色丹)を日本に引き渡す」と明記してある。それ以上でもそれ以下でもない。プーチンが日本人用に柔道用語の「始め!」や「引き分け」を使ったのはこのためであるが、最終的結論に変わりはない。

3.交渉の始めに相手のやる気を挫くようなできるだけハードな立場を打ち出してくるのが、ロシア外交の常套手段であり、プーチンとメドベジェフはそのための役割分担をしている。交渉開始前にロシアがこの地を実効支配していることを鮮明に認識させて、強い立場をつくる役割をメドベジェフが引き受けている。「北方領土は一寸たりとも日本に渡さない」と言っておいて、長いじらし交渉の果てに2島返還でケリがつけば、日本側も「目出度し、目出度し」となるはずだ、という目算になる。

4.プーチンの尊敬するピーター大帝はサンクトペテルブルグを建設し、ヨーロッパへの玄関とした。プーチンはウラジヴォストーク(ロシア語の意味は「東方征服」)をアジアへの玄関にしたいと望んでいる。中国の南からの重圧に対処するためにも、ロシアはシベリア・極東地域の開発を推進し、資源・エネルギー開発、港湾の近代化、陸上交通インフラの建設、生産基盤の整備を急速に推し進めたい。北方領土返還の可能性をちらつかせれば、日本の技術、ノウハウ、投資を得ることができよう。他方、シベリアや極東の開発は、日本経済にとっても大いに利益になるはずであり、日本人は北方領土問題で譲歩してくるはずだ。

5.ビザなし交流は、北方領土の実効支配を認めることを前提とした交流であり、ロシアにとってみれば何も失うものはない。日本人が「旅券を使わない往来である」と自己弁明、自己満足しているのは、独りよがりにすぎない。日本側が北方領土在住のロシア人患者を日本に受け入れ、治療しているが、それによってロシア中央政府や地方政府が領土返還に前向きになることはあり得ない。そのようことを期待するのは日本人の勝手だが、ロシア側は、不都合になれば、いつでもこれを一方的に中止・停止できる。

6.北方領土の開発には既に韓国が進出してきているし、ビザなし交流が日本にとり問題ないのであれば、「ビザなし共同開発」も可能だ。ロシアは、共同開発により島の価値の上がった段階で「共同」をキャンセルすればよい。開発が進んだところで、島を日本に返還することは、ありえない。日本の政権は足元がグラグラしているから、決定的なことは決められないだろう。取りあえず「始め!」の号令を掛けて、日本の出方の様子見をしながら、時間を稼げばよい。そのうちに仲間割れして、ロシアにとって有利な条件を受け入れざるを得ない隙を与えてくれるであろう。

 ロシア側の腹のうちはざっと以上の通りであろう。チェスゲームで初めから自分の手の内を見せるのは愚の骨頂である。日本は、相手の出方を十分見極めることが先決である。日ロ関係は領土問題だけではない。ロシアにとっても二国間関係全体の一部に過ぎない。しかも、ロシアにとっては、現在抱える諸外交問題の中での優先度は高くない。流動的な国際関係の中で、北方領土の返還をどのように位置づけるのか、これら諸島の経済的価値とは別に、米国のアジア・シフト、中国の海洋進出、北極海の凍解による新航路や資源開発等により、この地域の軍事的・地政学的意味はどう変わるのか、などを十分見極める必要がる。今は政界、財界、学識経験者、歴史学者、若い世代、地方自治体等の国民全体の意見を総合的に集約し、国民的合意をつくる時期である。十分に足元が固まらないうちに、拙速に一歩を踏み出すべきではない。
                                
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