
「北極圏を巡る情勢の変化と対応」研究会の第3回定例研究会合が下記1.~3.の日時、形式、出席者にて開催されたところそれらの概要は下記4.のとおり。
- 日 時:2026年7月16日(木)13時00分~14時00分
- 形 式:ZOOMによるオンライン会合
- 出 席 者:39名
| [主 査] | 高橋美野梨 | 北海学園大学准教授 |
| [副 査] | 廣瀬 陽子 | 日本国際フォーラム上席研究員/慶應義塾大学教授 |
| [事業統括] | 高畑 洋平 | 日本国際フォーラム上席研究員・常務理事 |
| [報告者] | 稲垣 治 | 神戸大学極域協力研究センター研究員 |
| [メンバー] | 石原 敬浩 | 海上自衛隊幹部学校非常勤講師 |
| ユハ・サウナワーラ | 北海道大学北極圏研究センター准教授 | |
| 原田 大輔 | JOGMECエネルギー事業本部調査部長(併)企画調整部担当審議役 | |
| 三船 恵美 | 日本国際フォーラム上席研究員/駒澤大学教授 | |
| (メンバー五十音順) | ||
| [ J F I R ] | 渡辺 まゆ | 日本国際フォーラム理事長 |
| 伊藤和歌子 | 日本国際フォーラム研究主幹 他29名 |
- 概要
(文責、在研究本部)
(1)稲垣メンバーによる報告
【北極の地理的特徴と関係国】
北極は、大陸を中心とする南極とは異なり、北極点周辺が海洋によって構成されている。このため、北極の国際法秩序を理解する上では、海洋法が中心的な役割を果たす。北極の関係国には、北緯66度33分以北に領土を有する北極圏8カ国(A8)と、そのうち中央北極海を囲む北極海沿岸5カ国(A5)という区分がある。A8は北極評議会の構成国であり、A5はカナダ、デンマーク、ノルウェー、ロシア、米国から成る。北極では国家間の領土紛争は現在存在しておらず、唯一残されていたカナダとデンマークの間のハンス島をめぐる紛争も、2022年6月の合意によって解決された。領土紛争は存在しない一方で、排他的経済水域や大陸棚などの海洋境界はすべて画定しているわけではない。
【北極国際法秩序の形成】
冷戦終結以前、北極地域全体を対象とする国際協力は限定的であった。その例外が、1920年のスヴァールバール条約と1973年のホッキョクグマ保存協定である。前者は、スヴァールバール諸島に対するノルウェーの主権を認める一方、締約国の国民に漁業や鉱業などへの平等な参入を認めている。後者はA5によって締結され、ホッキョクグマの狩猟を原則として禁止した。また、1982年には「海の憲法」と呼ばれる国連海洋法条約(UNCLOS)が採択され、北極海にも適用される海洋法秩序の基盤が整備された。
北極における本格的な国際協力は、1987年のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長によるムルマンスク演説を契機として始まった。その後、北極評議会やバレンツ・ユーロ北極評議会などの協力枠組みが設立されたが、これらは法的拘束力のある条約によって設立された国際機構ではない。2000年代半ば以降、海氷の減少や環境変化が明らかになると、北極への国際的関心が急速に高まった。2007年にはロシアの潜水艇が北極点の海底に国旗を設置し、資源をめぐる国家間競争への懸念が広がった。これを受け、2008年にデンマーク政府がA5をグリーンランドのイルリサットに招請し、北極海会議を開催した。
【イルリサット宣言と北極統治の基本原則】
イルリサット宣言は、現在の北極国際法秩序の基本設計を示す文書である。その内容は二点に整理できる。第一に、北極海は無法地帯ではなく、海洋法をはじめとする既存の広範な国際法が適用されるという点である。第二に、既存の国際法が十分な基礎を提供しているため、南極条約体制に相当する包括的な「北極条約」を新たに設ける必要はないという点である。
ただし、同宣言が否定したのは包括的な国際法レジームであり、個別分野の条約までは否定していない。実際に2010年代には、北極捜索救助協定、北極油濁汚染準備対応協定、北極科学協力協定、中央北極海無規制公海漁業防止協定などが成立した。2022年のロシアによるウクライナ侵攻後は、北極評議会を中心とする地域協力が停滞した一方、BBNJ協定や極海コードの改正など、北極海にも適用されるグローバルな制度には発展がみられる。
【北極海に適用される海洋法】
海洋法は、北極海を領海、排他的経済水域、大陸棚、公海、深海底などに区分し、それぞれの海域における国家の権利と義務を定めている。沿岸国は基線から12海里まで領海を、200海里まで排他的経済水域を設定できる。海底については、沿岸から200海里までは原則として沿岸国の大陸棚となり、地形的にさらに延びている場合には、大陸棚限界委員会(CLCS)の勧告に基づいて延長大陸棚を設定できる。
北極海沿岸国間の隣り合う五つの海洋境界のうち、現在までに四つが画定されている。カナダとデンマークの境界も、ハンス島問題の解決と併せて2022年に画定され、残る主要な未画定海域はカナダと米国の間のボーフォート海である。中央北極海の海底については、カナダ、デンマーク、ノルウェー、ロシアがCLCSに延長大陸棚に関する情報を提出している。北極点周辺ではカナダ、デンマーク、ロシアの主張が重なっており、限界設定後には関係国間で境界画定交渉を行う必要がある。米国はUNCLOSの締約国ではないが、2023年12月に国際慣習法に基づくものとして自国の延長大陸棚の範囲を公表した。各国の主張には重複があるものの、現在までのところUNCLOSの手続に沿って処理が進められていることが重要である。
【資源開発・船舶航行・科学調査】
天然資源の開発について、沿岸国は領海内では主権に基づき資源を独占的に開発でき、排他的経済水域と大陸棚では、資源の探査・開発に関する主権的権利を有する。ただし、主権的権利は国家領域に対する包括的な主権とは異なり、資源開発など特定の目的に限定された権利である。公海では漁獲の自由が認められるが、資源の枯渇を防ぐため、国連公海漁業協定や中央北極海の無規制公海漁業防止協定による規制を受ける。深海底の鉱物資源は「人類の共同の財産」とされ、国際海底機構の管理の下で開発される。
船舶航行については、領海では外国船舶に無害通航権が認められ、排他的経済水域と公海では航行の自由が保障される。他方、内水では原則として無害通航権は認められず、沿岸国の規制が全面的に及ぶ。北極海では、ロシアの北極海航路とカナダの北西航路について、事前許可、砕氷船による先導、水先案内人の乗船などを求める国内法が国際法に適合するかが問題となってきた。特にカナダは北西航路を内水と主張する一方、米国は国際海峡とみなしている。また、UNCLOS第234条は氷結海域において沿岸国に強い海洋汚染防止権限を認めており、両国の規制をどこまで正当化できるかが論点となっている。
海洋科学調査については、領海、排他的経済水域、大陸棚で調査を行う場合、原則として沿岸国の同意が必要である。中央北極海では大陸棚の境界画定が完了していないため、どの国の同意を得るべきかが問題となり得る。公海と深海底では科学調査の自由が認められるが、BBNJ協定に基づく環境影響評価、海洋遺伝資源の採取に関する通報、利益配分などの義務を遵守する必要がある。
【北極に関する分野別条約】
1973年のホッキョクグマ保存協定は、ホッキョクグマの狩猟を原則として禁止したものであり、現在では海氷の減少などの環境変化にも対応している。ウクライナ侵攻後もオンライン形式で締約国会合が開催されているが、A5のみが参加できる閉鎖条約であるため、日本は加入できない。北極捜索救助協定と北極油濁汚染準備対応協定もA8のみを当事国とする閉鎖条約であり、事故発生時の通報、対応、国家間協力を定めている。
北極科学協力協定は、研究者の出入国、研究施設へのアクセス、試料やデータの移動などの障害を軽減し、北極における科学活動を容易にするための協定である。日本も交渉に参加して意見を表明し、一定の場合には非北極圏国の研究者も協定の便益を受けられることとなった。ウクライナ侵攻後は締約国会合が開催されていないが、科学研究を北極政策の中心に据える日本にとって重要な制度である。
中央北極海の無規制公海漁業防止協定は、商業漁業が開始される前に予防的な規制を設け、科学的情報を収集した上で、持続可能な漁業が可能かを判断する仕組みである。A5に加え、中国、アイスランド、日本、韓国、EUが参加しており、日本が当事国となっている殆ど唯一の北極の地域的条約である。ウクライナ侵攻後も締約国会議や科学調査、試験的漁業のルール作成が継続しており、日本も関連会合を開催するなど貢献している。
極海コードは、国際海事機関(IMO)の下で採択されたグローバルな制度であり、極海を航行する船舶の船体構造、設備、運航、船員訓練などの基準を定めている。2023年の改正では、一定規模以上の漁船など、従来対象外であった船舶にも一部規定が拡大された。
【ウクライナ侵攻後の北極協力と日本への示唆】
ロシアによるウクライナ侵攻後の状況を踏まえると、北極圏国間で新たな地域条約が締結される可能性は低い。他方、BBNJ協定や極海コードにみられるように、北極海にも適用されるグローバルな国際法制度は今後も発展する可能性がある。
日本としては、法の支配と科学的知見を重視する立場から、IMOやBBNJ協定などの制度形成を注視するとともに、特に、日本が当事国である中央北極海無規制公海漁業防止協定について、科学調査、データ共有、試験的漁業のルール形成を通じて貢献していくべきである。
(2)自由討論
Q1.領海における「主権」と、排他的経済水域における「主権的権利」は、なぜ区別されているのか。また、米国が国連海洋法条約(UNCLOS)を批准していない理由と、それによって得ている利益および被っている不利益をどのように考えればよいか。(原田メンバー)
A1.排他的経済水域の制度は、航行の自由をできる限り確保したい先進国と、沿岸の水産資源を外国漁船から保護したい途上国との妥協によって成立した。沿岸国に資源の探査・開発に限定した主権的権利を認める一方、外国船舶の航行の自由を維持する仕組みである。米国がUNCLOSを批准していない主な背景には、深海底を国際海底機構の管理下に置く第11部が途上国寄りであるとの反発がある。批准しないことで同規定に拘束されない利益がある一方、大陸棚限界委員会(CLCS)の手続を利用できず、延長大陸棚について国際的な勧告を得られないことは不利益であるように思われる。(稲垣メンバー)
Q2.ロシアの北極海航路における事前許可制などについて、日本は同航路を国際海峡と位置付け、航行の自由を積極的に主張すべきか。また、新たな北極域研究船「みらいⅡ」を北極科学協力協定と結び付け、日本の発言力を強化することは可能か。さらに、三カ国以上の主張が重なる海域を複数国間で画定した事例はあるか。(石原メンバー)
A2.日本はこれまで、ロシアの北極海航路やカナダの北西航路を国際海峡であると明示的に主張していない。沿岸国の国内法が国際法に適合しないと指摘することは可能であるが、日本は実際に航路を利用する側でもあり、正面から抗議することには実務上の難しさがある。北極科学協力協定はA8のみを当事国とするため、日本が直接利益を得ることはできないが、日本人研究者が北極圏国の研究計画に参加する場合には、協定上の便益を受ける可能性がある。「みらいⅡ」を国際研究プラットフォームとして活用できる可能性はあるものの、協定との具体的な関係は今後の検討課題である。複数国が関係する境界画定については、北海や中米などに事例があると考えられるが、その手法や北極への応用可能性については、さらに検討する必要がある。(稲垣メンバー)
Q3.北極では国際法秩序が比較的維持されている一方、ロシアによるウクライナ侵攻やNATO拡大によって安全保障秩序は大きく変化している。この両者のずれをどのように評価すべきか。また、海底ケーブルの損傷など、実行主体や意図を特定しにくいグレーゾーン活動に対し、既存の国際法は十分に機能し得るか。(廣瀬副査)
A3.ウクライナ侵攻は、安全保障分野だけでなく、北極の国際協力と法秩序にも深刻な影響を与えている。北極評議会の活動は一時停止し、ロシアはバレンツ・ユーロ北極評議会や一部の漁業科学協力から離脱した。他方、中央北極海の無規制公海漁業防止協定、グローバルな条約、海洋境界画定の手続など、侵攻後も維持されている制度もある。したがって、北極国際法秩序は安定しているというより、深刻な影響を受けながらも一部が持ちこたえていると評価すべきである。
グレーゾーン活動については、行為者が特定され、海底ケーブルの保護などに関する既存の国際法が適用できる場合には、法的な対応が可能である。しかし、事故か意図的行為かが不明であり、実行主体も特定できない場合には、責任追及が難しい。国際法は国家に最低限の行動基準を課すものであり、禁止されていない活動を広く規制するものではないため、曖昧なグレーゾーン活動には対応上の限界がある。(稲垣メンバー)
Q4.日本の研究機関や企業が北極で活動する上で、現在の国際法や国際協定が具体的な障害となっている事例はあるか。北極海横断海底ケーブル、船舶航行、漁業などの分野では、どのような問題が考えられるか。(ユハメンバー)
A4.ロシアとカナダは北極海の航路に厳格な国内規制を設けており、それらが国際法に適合するかについて議論がある。しかし、日本政府が国家間で異議を申し立てない限り、日本の船会社や企業は沿岸国の国内法に従わざるを得ない。このため、国内法と国際法の不一致に対して、日本政府がどのように対応するかが重要となる。
また、将来的には中央北極海の公海における漁業も日本企業に関係する可能性がある。現在は試験的漁業のルールが検討されているが、資源保護を重視する沿岸国と、調査や漁業への参加を求める日本や中国などの非沿岸国との間で意見が一致していない。協定の意思決定にはコンセンサスが必要であるため、ルール形成が進みにくいことが課題である。(稲垣メンバー)
Q5.中国はBBNJ協定への関与を近年強めている。中国は同協定を、従来の国際海洋法秩序では得られなかった利益を確保し、海洋科学調査や共同開発への関与を拡大するための手段として活用しようとしているのか。中国の動きをどのように評価すべきか。(三船メンバー)
A5.中国はBBNJ協定を批准し、事務局の自国誘致にも積極的な姿勢を示すなど、条約体制への関与を強めている。ただし、BBNJ協定は公海における活動を自由化するというより、従来認められていた自由に新たな規制を課す性格が強い。海洋遺伝資源を採取する際の通報、試料や利益の配分、環境影響評価などが義務付けられるため、科学調査を含む活動は従来よりも制約を受けることになる。
したがって、中国にとっての主要な利益は、自由な資源開発を直接拡大することよりも、米国が参加しにくい多国間条約の制度運営に積極的に関与し、国際的なルール形成で主導権を確保することにあると考えられる。(稲垣メンバー)
Q6.イルリサット宣言は、A8のうちアイスランド、スウェーデン、フィンランドや先住民族を除外してA5のみで採択されたため、手続面で批判を受けた。それにもかかわらず、同宣言が北極国際法秩序の基本的な枠組みとして受け入れられているのはなぜか。また、その内容は現在どの程度共有されているのか。(高橋主査)
A6.イルリサット宣言のうち、既存の国際法が北極海に適用されるという原則は、A8の間で広く共有されている。北極評議会がオブザーバーを承認する際の基準にも同様の考え方が盛り込まれており、日本も北極評議会のオブザーバーとなる際に同宣言への支持を表明している。したがって、同宣言に対する批判は、その内容よりも、A5のみで会議を開催し、他の北極圏国や先住民族を排除した手続に向けられたものと考えられる。
他方、包括的な北極条約を設ける必要がないという点については、A8すべてが同じ立場にあるとは限らず、より強力な法制度を求める国も存在する。ただし、包括的な条約の成立には北極圏国間の合意が必要であり、A5が反対する以上、実現は困難である。2008年当時はA5とA8のどちらが北極統治を主導するかが定まっておらず、A5による会議の開催には主導権を確保する意図もあったと考えられる。その後はA8による北極評議会が幅広い協力を担い、A5は中央北極海漁業など沿岸国としての利害が強い分野を主に扱うようになった。(稲垣メンバー)