今こそ積極的平和主義の実践を

2020年4月29日
神谷 万丈
日本国際フォーラム理事・上席研究員
/防衛大学校教授



国全体が新型コロナウイルス禍による閉塞(へいそく)感に覆われてしまっている今日、外交の重要性は忘れられがちだ。だが私は、日本が今こそ積極的平和主義を実践し、パンデミックという非伝統的安全保障問題に立ち向かうための国際協調を主導すべきことを訴えたい。


≪中国の「コロナ」政治利用≫

世界がこの歴史的厄災から一日も早く元通りの日常を取り戻すには、全人類の英知の結集が必要だ。だが国際社会は中央政府を欠くため、そうした協調はいずれかの大国の主導なくしては実現しにくい。今のような非常時には、主要大国が狭い国益よりも国際的な連帯を優先させて行動することが望ましいが、4月9日の本欄で述べたように、国際政治の現実はそうした理想とはかけ離れている。

中国は、疾病発生当初には情報隠蔽(いんぺい)や初動対応の遅れが目立ち、国際協調により問題に立ち向かう姿勢が乏しかった。その後もパンデミックを生み出した責任には頬かむりをしたまま、国内での対策成功を宣伝している。最近では、「マスク外交」と呼ばれる新型コロナ関連の国際的な医療支援を大々的に展開しているが、その陰には、中国こそがコロナとの国際的な闘いを主導していると世界に印象づけ、その利己的な国益を実現するための国際的影響力の拡大につなげようとする「国際協調の政治利用」の思惑が透けてみえる。

米国の姿勢にも落胆させられる。近年国際社会は、エボラ出血熱や重症急性呼吸器症候群(SARS)など、いくつもの感染症の脅威に直面させられてきた。そのたびに必要な国際協調を主導したのは米国だった。ところが今回は、未曽有の被害にもかかわらず、トランプ政権は米国第一主義の旗を降ろさず、国際協調に背を向け続けている。世界保健機関(WHO)への資金拠出停止も発表された。

WHOが中国寄りに過ぎるというトランプ大統領の批判には同意も多い。だが、コロナのような世界的な保健問題を取り扱う唯一の国際機構として、WHOの必要性がかつてなく高まっている時に、世界一の強国がその基盤を弱める行動をとるのはいかがなものか。


≪日本の外交力の真価問われ≫

米中がこのような有様である今こそ、第3の大国日本の外交力の真価が問われる。国内対応だけでも苦しい時ではあるが、大国としての国際的な責任を自覚し、積極的平和主義の精神に基づき国際協調の先頭に立たねばならない。

新型コロナウイルス感染症への対応と、積極的平和主義とは無関係なのではないかと疑問に思われる向きも少なくないと思う。だが実は、日本の積極的平和主義は、グローバルヘルス(国際保健)の分野を含むものとして提唱されてきたという事実がある。伊勢志摩サミットに際し、安倍晋三首相は日本の積極的平和主義は「人間の安全保障」を基礎としており、「保健」は中心的要素だとのメッセージを国際社会に発信した。われわれはそれを思い出すべきだ。

日本にできることは限られるかもしれぬ。だが政府は既に、新型コロナ治療薬として期待される抗インフルエンザ薬アビガンを、希望する国に無償供与することを表明した。こうした努力の拡大が重要だ。国内経済対策は大変だが、それでも日本は世界の中では豊かな国だ。貧困国のコロナ対策への金銭的支援もできるはずだ。

日本が今積極的平和主義を実践してみせることは「他者のため」になることはむろんだが、広い意味での日本の国益に資するものでもある。まずそれは、コロナ後の世界での日本の国際的影響力の向上をもたらす。国際社会では、国家には他国が苦境に陥ったとしても助ける義務はない。にもかかわらず、日本が自らも苦しい状況の下で他国に手を差し伸べれば、それは必ずや日本のイメージを良くし、対日友好感情を高める。


≪コロナ後の世界も左右する≫

日本による積極的平和主義の発動は、コロナ後の世界のあり方にも大きな影響を与え得る。コロナ前の世界では、米国主導のリベラルな国際秩序と中国主導の権威主義的な国際秩序のいずれが好ましいのかという競争が展開されていたことを忘れてはならない。もし、リベラルデモクラシー諸国が中国にパンデミック対応における「国際協調の政治利用」を許してしまえば、世界には、中国中心の世界も悪くないという空気が生まれてしまうかもしれない。

中国の「マスク外交」は、いかなる政治的意図が潜んでいようとも、困難に直面している国に必要な物資や医療チームは届ける。それは当然感謝を呼び起こす。ところが米国は自国第一主義、欧州連合(EU)諸国も欧州統合の理念さえ棚上げにして自国中心のウイルス対策に専念している。この状況が続けば、世界はリベラルデモクラシーを無力とみ、中国に引きつけられることになりかねない。

日本が国難の中でも歯を食いしばり国際協調を主導し、欧米諸国にも協調への参画を促せるかどうかは、この観点から重要な意味を持つ。日本外交の正念場だ。

[産経新聞2020年4月29日(木)『正論』欄より転載]




神谷万丈防衛大学校教授
神谷万丈 理事・上席研究員/防衛大学校教授
1985年東京大学教養学部卒業後、コロンビア大学大学院(フルブライト奨学生)を経て、1992年防衛大学校助手。同専任講師、同助教授を経て、2004年より現職。この間、ニュージーランド戦略研究所特別招聘研究員、『Australian Journal of International Affairs』編集委員、日本国際問題研究所客員研究員等を歴任。現在、国際安全保障学会理事、海外向け外交政策論調誌『Discuss Japan』編集委員長を兼務。