平林 博 副理事長 「日本から見た世界 世界から見た日本」

第41話
 『拉致問題の画期的な包括的合意―日朝関係雪解けへの前兆か?―』

2014年8月15日
 日本国際フォーラム副理事長 平林  博



 7月1日、北京での日朝局長級会談は画期的であった。日朝関係の雪解けへの前兆が見えたと言えば言い過ぎだろうか?
 初めて北朝鮮は、拉致被害者のみならず日本人行方不明者などすべてにわたって再調査し、判明すれば日本に返すことを約束した。ひときわ注目されたのは、北朝鮮側が金正恩第一書記直属の特別調査委員会を設置し、その中に強力な国家安全保衛部などが含まれたことである。金正恩の指揮下に置かれた組織なので、命令には絶対的に従うものとされる。国家安全保衛部は、拉致の企画実行も拉致被害者の管理も担当した。「再調査」というのは取り繕いで、実際にはすでに十分情報を保有しているはずだ。
 日本政府は北朝鮮が今度こそ本気であると結論付け、7月4日の閣議において、日本独自の対北制裁の一部解除に踏み切った。

 日朝協議は、平成24年4月の金正恩の労働党第一書記就任後間もない8月に、北京で公式協議が再開されて動き出した。11月にはウランバートルで局長級協議が行われたが、12月の長距離弾道ミサイル発射予告を受けて、日本側は局長級協議を延期した。
 24年12月の第二次安倍内閣の成立は、事態進展を押した。安倍総理が拉致問題解決への不退転の決意を繰り返し表明したからであり、また、日本が強さを取り戻したからである。
 経済面ではアベノミックスの成果が出始め、わが国の経済は再び上昇軌道に乗った。安倍政権は、困難を押して特定秘密保護法を制定し、集団的自衛権を憲法解釈により認めることに踏み切った。外交面においても、中国の脅しや反日キャンペーンに屈するどころか、これを跳ね返す意思と行動を示した。積極的平和主義と「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、わが国の地位の向上と中韓反日戦線と戦う意思を示した。これまでにない積極的な総理の外国訪問や各国要人の訪日などにより、その成果が出てきた。
 安倍政権が強い政府であり国民的支持も強いことが判明するにつれ、北朝鮮の対日政策も積極的になった。2014年3月には瀋陽において2度の非公式会談が行われ、1週間後には、ウランバートルにおいて横田めぐみさんの両親がめぐみさんの娘と面会した。次いで北京において1年4カ月ぶりで局長級協議が、5月にはストックホルムにおいて再度の局長級協議が行われ、7月の北京での局長級会議で包括的合意に至ったのだ。
 中韓は安倍総理への非難を続けているが、安倍総理の活発な外交により、安倍路線は、同盟国の米国のみならず東南アジア諸国やインド、オーストラリアやニュージーランドなど地域の主要国から支持されている。

 金正恩は、これを見逃さなかった。金正恩登場後、中国との関係は悪化した。中国からの支援は減少ないし停止され、要人往来もほぼ途絶えた。中国を議長国とする6カ国協議も動かなくなった。北朝鮮のナンバー2として君臨していた張成沢を、中国との馴れ合いや経済権益などの奪取を理由として国家転覆陰謀行為の罪に問い、2013年12月に処刑した。中国との関係を牛耳っていた張成沢の粛清は金正恩の権力固めのために必要であったが、反中国姿勢の現れでもあった。にもかかわらず、習近平は、伝統的に最初の首脳訪問を北朝鮮とはせず、宿敵韓国を訪問し、中韓の友好をこれ見よがしに誇示した。中国および韓国の反日キャンペーンに対し敢然と立ち向かう安倍総理を見て、金正恩は鼓舞されたのかもしれない。
 金正恩は、内外の政策で成功を収めつつあり国民的支持も高い安倍総理であれば、日朝関係のブレイクスルーも可能と考えたのであろう。拉致問題の一挙解決と対北朝鮮に対する制裁解除は、双方が弱体政権では行えない。国連決議に基づく制裁の解除は国際協調の範囲内でしか行えないが、人的交流の再開、日本からの資金の持ち出し、人道目的の北朝鮮船舶の立ち寄りなどは日本独自の制裁であり、日本政府の決断次第でできる。今回の合意は、日朝双方の首脳部が相手をよく理解した結果の合意である。北朝鮮の次なる目的は、生命線の一つである万景峰号の日本寄港、輸出入の禁止の解除、競売に付された朝鮮総連本部ビルの継続使用の確保であるが、これも日本政府が強くなければできない。金正恩の最終目的は日朝国交正常化であるが、これも日本が強力な政権でなければできないことを理解しているであろう。
 善意に解釈すれば、学生としてスイスで長い間留学していた金正恩は、閉鎖的で孤立した北朝鮮では生きていけず、日本との関係をブレイクスルーにして国際社会との折り合いをつけようと思っても不思議ではない。金正恩の思考回路は、祖父の金日成や父親の金正日とはかなり違っている可能性がある。

 かつて2002年9月、小泉純一郎総理が電撃的に訪朝し、金正日国防委員長から拉致は北朝鮮当局によるものであることを認めさせ、謝罪を勝取った。双方はピョンヤン宣言を発出し、総理は5人の拉致被害者を連れ帰った。2004年5月には、小泉総理は2度目の訪朝を決行した。小泉総理による2度の訪朝いずれも、安倍総理は官房副長官として首席随員を務めた。安倍総理も小泉総理に多くを学んだはずだ。

 このように見てくると、北朝鮮が拉致被害者や日本人行方不明者について約束通り全面的に「調査」し、包括的な解決に踏み切れば、日朝関係には新たな展望が開けるであろう。北朝鮮は、国家の存続をかけて日本との国交正常化を熱望しているに違いない。しかし、過去において、北朝鮮は約束を何回もほごにした前歴がある。「行動対行動」で対応する必要があることは言を待たない。
 さらに、日本にとって最大の脅威は北朝鮮の核とミサイル開発である。米国ほか国際社会にとっても、核開発を断念させることが絶対に譲れない最終目標である。しかし、今や敵性諸国に囲まれたと考える北朝鮮は、核抑止力のみが自国の生存を保障する最後の砦と考えているので、これは容易ではない。日本のみならず米国との関係も正常化し、中国やロシアからの安全の保証が得られない限り、核を放棄することは考えにくい。長い道のりであろう。

 しかし、拉致や行方不明日本人の問題が解決すれば、日朝双方にとって大きな前進となる。中国と韓国が対日共同戦線を張って国際的反日キャンペーンを強化しようとしている現在、中韓両国への牽制としても有効である。
 北朝鮮は海千山千のツワモノであり、善意や正義だけでは動かない。今回見えてきた一筋の燭光が最終的に国交正常化につながるためには、安倍政権の毅然とした対応とともに、何よりもわが国論が一致して北朝鮮に当たることが必要である。


[「自警」2014年8月号「日本から見た世界 世界から見た日本 第41話」より転載]

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平林 博

平林 博   日本国際フォーラム副理事長

 1940年東京生まれ。東京大学卒業後、1963年外務省入省。1991年から2007年までに、在米国日本大使館経済公使、次いで同大使館特命全権公使、外務省経済協力局長、総理官邸の内閣外政審議室長、駐インド特命全権大使、駐フランス特命全権大使、査察大使をそれぞれ歴任。
現在、グローバル・フォーラム有識者世話人、東アジア共同体評議会議長、日印協会理事長等を兼任。