研究会コメンタリー

地方政府の国家級政策へのこだわり
—台湾農民創業園と海峡西岸経済区の事例から—

北九州大学市立大学外国語学部教授
下野 寿子

この小論は、福建省政府が推進してきた台湾農民創業園と海峡西岸経済区(海西区)という2つの政策をとりあげる。この小論をつうじて、福建省政府がより高い政策成果を得るために、2つの政策を地方級から国家級に格上げすることを目指した、という仮説を紹介する。省内で対台湾経済政策として立案された2つの政策は、後に国務院が批准して国家級政策へと格上げされたものである。改革開放後の福建省における台湾政策は、台湾資本誘致を中心に展開した。そのため、同省の台湾政策は、対外開放や経済開発との関連性が強い。また、台湾農民創業園と海西区について政策決定過程モデル分析を行うと、省が国家級政策を獲得するために台湾との経済協力を掲げたことがより明確になる。

本稿の議論に関わるところでいえば、近年の福建省の経済開発政策には3つの特徴がある。①福建省には「台湾との経済協力」を掲げた経済開発政策が多い。福建省政府は「台湾との協力関係」を看板にすることで、中央政府の政策支援を得やすくなると考えている[1]。②旧来の経済開発政策を維持したまま、新しい政策を起ち上げる傾向があるため、複数の経済開発政策が重なる地域がある。例えば、海西区の一部に設けられた平潭総合実験区は、中国(福建)自由貿易試験区平潭片区とも重なっている。③省は、下級政府の政策を省レベルに、省レベルの政策を国家級の政策に格上げすることに取り組んできた。中国の研究者は「台商投資区の場合、国家級政策になれば面積は広くなり政策の自由度も大きくなる」 [2]と述べ、邱(2015)は国家級政策になることで中央から大きな財政支援を得られる[3]と示唆した。

こうした特徴を踏まえて台湾農民創業園と海西区をふり返ってみたい。台湾農民創業園は台湾との農業協力を掲げて漳浦県が設立し、省を経由して国務院へ上げられた政策である。しかし、実際には台商でなくても台湾農民創業園に投資することができたため、漳浦県が「台湾農民」という言葉を掲げた理由は不明確になっている。政策の発端は、2004年で、漳浦県が設立の準備を始め、2005年に正式に始動し、2006年4月に国務院農業部と国務院台湾事務弁公室の批准を受けて国家級政策となり[4]、4月15日に両岸経貿論壇(北京)の閉幕式で発表された。国務院農業部と国務院台湾事務弁公室が政策を批准した背景として、漳浦県や福建省が台湾からの農業投資を望んでいたこと、また、本政策が2005年4月29日の連戦・胡錦濤会談以降の中台農業協力(台湾産果物の免税輸入や台湾からの対中農業投資など)の推進に合致すると受けとめられたことが考えられる。

一方、「台湾」の文字が入っていない海西区は、福建省・浙江省・江西省・広東省から成る開発プロジェクトである。これらの参加地域が「台湾との往来に独特な優勢を持つ」[5]ことが、台湾との関連づけに相当する。江西省のように台湾海峡に面していない地域も含む海西区は、事実上、福建省の経済開発政策となっている。

海西区構想が国家級政策として成立するまでの過程を『中国台湾網』の記事に沿って紹介すると、以下のようになる。海西区構想は、2004年に福建省第10期人民代表大会第2回会議の「政府工作報告」の中で提示され、省の発展戦略の延長として、また、福建の立ち位置を活かして台湾に対する優勢を発揮するための政策として位置づけられた。同年後半には、羅豪才全国政協副主席の「海峡西岸経済区を建設することについての考察報告」を通じて胡錦涛総書記へ政策が伝達された。省党委員会は8月に「海峡西岸経済区建設綱要」と関連政策を議論し、11月初めに「海峡西岸経済区建設綱要(試行)」を公布した。また、2005年初めまでに中央要人が相次いで現地視察に訪れた。2005年10月、中国共産党第16期中央委員会第5回会議で「海峡西岸経済発展を支持」することが「国民経済と社会発展の第11次5カ年計画の制定に関する中共中央の建議」に盛り込まれ、2006年3月の全国人民代表大会では同じ文言が「政府工作報告」と第11次5カ年計画綱要に入った [6]。2009年5月に国務院が「福建省が海峡西岸経済区の建設を加速することについての若干の意見」を発表し、2011年3月には国家発展改革委員会が「海峡西岸経済区発展計画」を公布し、海西区は国家級政策になった。

台湾農民創業園と海西区が省レベルの政策から国家級政策に格上げされた経緯と、それぞれの政策がどのような経済的成果を上げたのかは別の問題である。一般的には経済政策であれば経済的成果を以て評価されるべきであろうが、福建省にとっては国家級政策にすることが政策目標であった可能性もある。筆者がそのような発想に至った理由は廈門の経験にある。廈門は経済特区に指定された際に資金不足で苦しんだが、計画単列[7]や複数の国家級台商投資区など中央からの政策支援を獲得した後に経済発展の成果を享受した。廈門と同様、経済規模が比較的小さく、開発に回せる資源が不足しがちであった福建省にとって、国家級政策は開発と成長を持続するために必要なステップであり、「台湾」という言葉は中央の関心を引く役割を果たしたと考えられる。但し、経済発展の要因は広く分析されるべきであり、ここでは類推にとどめる。

最後に、台湾農民創業園と海西区という2つの経済政策に政策決定過程(政策課題の設定、政策形成、政策決定、政策執行、政策評価)モデルを適用する意義について考えてみたい。これら2つの経済政策は、何れも新旧の経済開発政策が重複する地域を含み、また、経済政策でありながら台湾問題という政治課題が関連づけられている。このような特性があるため、2つの経済政策は、短期的な数値目標を政策課題に設定したモデル分析には馴染まない。しかし、福建省が国家級政策の獲得を政策課題に設定していたと仮定するならば、また分析に必要な情報にアクセスできるならば、2つの経済政策は政策決定過程モデルでうまく説明できる可能性がある。そうした分析は、福建省と台湾との関係が省の政策課題達成とどのように関連していたのかについて有益な示唆を提供すると考えられる。


(脚注)

[1]海西区や平潭総合実験区の重点が福建省の経済発展にあったことは、邱垂正が中国側の専門家や担当者に行ったインタビューでも確認される(邱垂正『中国大陸対台湾次区域合作的戦略与政策―以「平潭総合実験区」実徴研究為例』台北市、独立作家、2015年、122-124頁)。

[2]2018年3月16日福建省での聞き取り。

[3]邱、前掲書、125頁。

[4]「福建台湾農民創業園」『中国台湾網』、2007年11月28日、 http://www.taiwan.cn/jm/qyys/hxxa/fjnycyy/200711/t20071128_492163.htm(最終閲覧:2021年1月30日)。

[5]国家発展和改革委員会「『海峡西岸経済区発展規劃』全文」前言『中国区域発展網』2018年2月2日、 http://www.cre.org.cn/list2/cz/12181.html(最終閲覧:2021年1月30日)。

[6]「海峡西岸経済区的由来」『中国台湾網』、2007年11月13日、 http://www.taiwan.cn/jm/qyys/hxxa/ljhx/200711/t20071127_491067.htm(最終閲覧:2021年1月30日)。

[7]三宅康之は、計画単列市を「行政上は省に属したまま中央の計画では単独の項目として取り扱われる都市」あるいは「計画作成に際して中央各部門と直接対話できる地位を与えられた都市」と定義した(三宅康之『中国・改革開放の政治経済学』ミネルヴァ書房、2006年、114頁)。廈門市は1988年に計画単列市に指定され(現在は副省級市)、現在では域内GDPの14%を生み出す(面積は省内で1.4%)都市になった。