外交円卓懇談会

第106回外交円卓懇談会
「朝鮮半島情勢と日韓関係の行方」(メモ)

2014年10月9日
公益財団法人日本国際フォーラム
グローバル・フォーラム
東アジア共同体評議会
事務局

 日本国際フォーラム等3団体の共催する第106回外交円卓懇談会は、康仁徳・元大韓民国統一部長官を講師に迎え、「朝鮮半島情勢と日韓関係の行方」と題して、下記1.~5.の要領で開催されたところ、その冒頭講話の概要は下記6.のとおりであった。

1.日 時:2014年10月9日(木)15時00分より16時30分まで
2.場 所:日本国際フォーラム会議室
3.テーマ:「朝鮮半島情勢と日韓関係の行方」
4.報告者:康仁徳・元大韓民国統一部長官
5.出席者:30名

6.報告者講話概要

 康仁徳・元大韓民国統一部長官の講話の概要は次の通り。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われたが、議論についてはオフレコを前提としている当懇談会の性格上、これ以上の詳細は割愛する。

北朝鮮の政治情勢

 北朝鮮の幹部3人(黄炳瑞(Hwang Pyong-So)国防委員会副委員長、崔竜海(Choe Ryong-Hae)朝鮮労働党書記、金養建(Kim Yang-Gon)朝鮮労働党統一戦線部長)の訪韓の目的は、南北関係改善のためかどうか疑問である。過去40年間、北朝鮮の平和工作には戦術的意味があった。現在、国連安保理決議や、日本、韓国等の制裁で、北朝鮮の立場は苦しいことを想起すべきである。
 北朝鮮には金一族とパルチザン派の「権力共同体」があり、一方の派閥の不満は政権を危険にさらす。張成澤前国防委員会副委員長の粛清もその結果である。金正日総書記の死後、先軍政治から党中心の政治に変わり、張成澤前副委員長のもと、党の行政部に警察権力が集まった。軍が中心であった外貨稼ぎの機能も、党の「54局」に移された。張成澤前副委員長は政治権力と財政を握ったのである。軍が黙っているはずがなく、金正恩第一書記は張成澤前副委員長を粛清せざるを得なかったのである。1967年に金日成国家主席がパルチザン派を粛清した翌年、地方の党組織の2/3が空席になったが、張成澤前副委員長が政治、経済、社会、文化、スポーツまで手の内にしていたことから、安定には時間がかかると思われる。

北朝鮮の経済政策と実状

 現在、北朝鮮は経済建設を核開発と並行して進めようとしているが、到底その両立は成り立つものではない。経済面では、生産管理の改革・開放が進められている。農業では、1980年頃の中国と同じやり方で、120~150名規模の作業班を7~8名に分割し、配分も今までの農民3・国家7から国家3・農民7にするという。また企業は、実利を中心とした自主性に基づいて生産物を計画し、市場で売るという。さらに企業は外貨を使い、中国の満州や瀋陽で原料を購入し、品物を生産している。問題は、三つの不足(食糧、エネルギー、外貨の不足)である。特にエネルギー不足で工場が回っておらず、労働者が余っている。企業は、彼らが外で自由に働くのを許し、代わりに金を納めさせていた。これを受け、政府は「余った労働者は解雇せよ」という指令を出したため、失業者が駅前などで商売をしているという状況がある。
 他方、情報と権力を持つ者は、例えば韓国が支援した1トンあたり200ドルの米を400~800ドルで売るなどしている。経済が苦しい反面、賄賂が流行っている。5~6年前の脱北者たちは、「金があれば何でも買える」と言っていたが、最近は「金があれば何でもできる」と言う。社会主義的な道徳や秩序は崩れてしまったのではないか。金正恩第一書記は、これを金正日総書記のやり方で統制するため、宗教的な思想教育を行っている。しかし、若者には海外の情報が流れ、韓国の流行歌なども良く知っている。韓国のハナ院(収容所)の脱北者も、満州経由で北朝鮮に電話をかけられる。

南北対話

 南北対話の交渉は、北朝鮮の核とミサイルの開発が原因で進まない。韓国与党は(韓国哨戒艦「天安」沈没事件の)5.24制裁を解除せよと言うが、北朝鮮が信頼できない限りは解除できない。開城(ケソン)工業団地は開発が続いているが、3つの通(通関、通信、通行)が自由化されていない。また、開城にさらに企業が入れば、バスで移動できる距離より遠くから労働者を連れてこなければならず、韓国には寄宿舎や労働者の食事用の農場を作る計画があるが、それも進んでいない。10月末~11月に南北対話が決定したが、政治的妥協が無ければ対話は進まない。韓国には、北朝鮮への人道的支援、SOC改善支援、異質化したものを同質化するという3つの政策があるが、北朝鮮では外国の影響を避けるために韓国のNGOからの支援を受け取るなという金正恩第一書記の指令が出ている。国外で噂にあがっているような韓国の支援は簡単には実現せず、南北間の緊張は続くと思われる。しかし、安全保障を基礎に関係を改善するという韓国の基本方式は当分変わらないであろう。

日韓関係

 自分(康元長官)は、1945年以降の韓国の歴史を全て体験してきた。朴正煕政権の官僚として、植民地時代を忘れないことと、共産主義反対という国づくりの理念のもと、日本との国交正常化(1965年)によって受け取った請求権資金を種子金として韓国の現代化を進めた。80年代の民主主義と経済成長の達成は、韓国の誇りであった。
 しかし冷戦後、韓国では386世代(90年代に30代、80年代に大学生、60年代に生まれた世代)が、NL(National Liberation)やPD(People’s Democracy)を中心とした主体(チュチェ)思想に基づく反体制運動を起こした。反日思想も加わり、朴正煕元大統領や朝鮮戦争の功労者・白善燁(Paik Sun-Yup)氏といった方々を親日派とののしり、90年代にはそれが一般化した。386世代は、自分たちの世代の経済成長への努力を完全になくしてしまったのである。その後、15年にわたる文民政権が続き、韓国では理念的葛藤が起こっている。そこで李明博前大統領が竹島/独島を訪問した。歴代大統領には竹島/独島問題は解決しないことで解決するという暗黙の了解があったが、かつて日韓国交正常化反対学生集会のリーダーであった李明博前大統領は、大学時代の自分の考えを実行するため、日韓関係を悪化させる結果をもたらすことを承知しながら意図的に竹島/独島を訪問したことや、高木正雄(朴正煕元大統領)の娘であるという批判などが、慰安婦問題とともに負担となり、朴槿恵大統領は身動きが取れなくなっている。
 ただし、1965年以降、日韓関係は少し良くなったら突然悪化するということが何度もあったが、民間では大きな変化はない。例えば、松山市と平澤(ピョンテク)市は、20年間姉妹都市である。韓国への日本人観光客が減ったというが、日本への韓国人観光客は増えており、原因は円安で、日韓関係の悪化ではない。日韓は、領土や歴史の問題は後に回し、拉致問題の情報共有などで協調しなければならない。今は、70年代のように問題をすぐ解決できる人脈がないため、特に知識人の二重・三重の頻繁な往来を進めなければならない。両国が互いに誤解しないために必要な情報交換も進めるべきである。韓国の安全保障は米国と日本との協力なしには成り立たず、価値観を同じくする日韓米の協力があってはじめて中国の圧力に対抗できるのである。また、隣国同士で留学生に奨学金を出すなど、日韓間で若者の交流も進めるべきである。自分も、そのために努力していく覚悟である。

(文責、在事務局)