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2007-10-02 19:32
中国の田舎から日本のODAを考える
中兼和津次
青山学院大学教授
最近、この論壇で続けて日本のODAにかんする意見が出た。鍋嶋敬三氏は「国益損ねるODA削減」(本欄8月22日付投稿382号)と題して日本のODAが削減されていく現状を憂い、「ODA予算の長期間一律削減という硬直した方針は、外交戦略としての視点を欠いた近視眼的な発想であり、国益を損なうもの」とODA予算にも大ナタを入れようとする政府の2007年の「骨太の方針」を批判する。
一方、内田忠男氏は膨大な債務を抱える我が国国家財政を憂慮し、「ODAは増額より中身の精査を」(本欄8月29日付投稿386号)すべきだとして、援助の対象、中身、その効果と採算度を精査して、真に戦略的な援助を確立することを主張する。鍋嶋氏は外交手段の観点から、内田氏は財政健全化の観点から、それぞれODAを考え、前者はODAの量を、後者は質をそれぞれ問題視している。内田氏が指摘している「援助をヒモ付きにして日本企業のビジネス拡大の方途にした」ことをかつて一部の人士が批判した「ひも付き援助」否定論は別にして、両者の意見は我が国におけるODAの理念と現実、それにその評価を巡る典型的な対立軸を示している。
喩えていえば、我が家が火の車なのに町内会費なんか出せるかという意見も、あるいはしばらくの間はぎりぎりの所で勘弁してくださいという意見も、間違いではない。しかし、かといって町内の施設やサービスを「ただ乗り」するのはどうかと思う。たとえ苦しくとも、町内会の一員として規定の会費を納めるのが理にかなっているのではないか。ODAは広い意味での「安全保障」に役立っており、我が国も応分の負担をしない限り、ただ乗り批判に耐えられないだろう。
内田氏のいう援助の質という問題は確かに重要である。私は現在中国の西部地区貧困農村にかんする研究プロジェクトに関わっており、しばしば雲南、甘粛、四川省の貧困村を訪れ、調査しているが、日本の草の根援助事業(中国語で「利民工程」と呼ばれる)が現地に根付いていることを知り、現地の人々に広く認知され、深く感謝されるODAは日本(外交)にとって大きな「ソフトパワー」になるのではないか、という感じを強く抱く。
最近亡くなった元上海総領事の杉本信行氏も「広報の費用対効果の観点からのみいえば、受け入れ先の感謝の度合い、広報浸透度が十億円以上の大規模プロジェクトと『草の根無償資金協力』とで大差がないのであれば、後者を中国全土に拡散したほうがよいのではないか」(『大地の咆哮――元上海総領事が見た中国』PHP、2006年、144-146ページ)と述べている。
北京国際空港ビル建設工事に使われた我が国の有償資金援助(円借款)300億円は、中国の人々には全く認知されることはなかった。近い将来日本の対中有償援助は無くなっていくが、従来の大型、箱物型の援助と比べて、小型の、ソフトな援助の方がはるかに広報の「費用対効果」の比率が高いのは確かである。もちろん、援助の効果を全て「広報価値」だけで測るのは問題かも知れない。しかし、援助の広報価値は大きな「外交価値」を持つことを中国の現場で悪戦苦闘していた杉本氏はよく理解していた。
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