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2007-07-19 01:10
グルー駐日米大使著『滞日十年』の希少価値
奈須田敬
並木書房取締役会長・月刊「ざっくばらん」編集長
吉田茂はグルー駐日米大使を「本当の意味での知日家」と称えた(本欄6月29日付け投稿341号拙稿)が、グルーの『滞日十年』(毎日新聞社、昭和23年)の中に、グルーと近衛首相の私信の往復が紹介されている。それは昭和16年10月近衛が、日米関係の危機を回避するためルーズベルト米大統領に会談を提案し、それが失敗して内閣総辞職した際のグルー宛私信である。<<1941年10月16日 大使閣下 私の同僚と私とが、いずれ御説明することが出来ると思う国内事情のために辞職せねばならぬことは、甚だ残念であり、また落胆させるものであります。しかし私は後継内閣が今日までわれわれが続行してきた会談を、上首尾の結果にまで継続する最大の努力を払うであろうことは、確実だと感じます。ゆえに私はあなたと貴国政府が内閣の変更あるいは新内閣のたんなる外見や印象によって、あまり失望落胆されることなきよう、切に希望します。(略)誰が私の後を継ぐにせよ、あなたが彼に私同様の特恵をお与え下さることを、真摯にお願いします。個人的なる尊敬の念をもって 近衛文麿 >>
グルー大使の返信は以下の通りである。<<1941年10月17日 総理大臣閣下 10月16日付あなたの友情にみちたお手紙は深く感銘して拝読しました。(略)あなた御自身があなたと閣僚各位が尽力された崇高な目的達成のために、新内閣を援助されるということは、私にとって実にうれしいことであり、あなたの後継者が首尾よい成果をおさめるための両国政府それぞれの相互的努力を継続するにあたり、私自身の熱心な協力を完全に期待されてしかるべきことは、申すまでもありません。近衛公爵、私は最高の敬意と私的な尊敬の意を表します。敬具 ジョセフ・C・グルー>> 二つの私信を読み比べてみて、歯の浮くような “外交儀礼” が少しでもある、といいきることが出来るだろうか。
私信公開のあとに、次の注目すべき記事に出会う。<同時に近衛公爵の秘書牛場(注:友彦)はドゥーマン(注:参事官)を訪れ、内閣瓦解を招いた情勢と、近衛公爵が合衆国との会談を継続することに同意する後継者任命に成功した非常に興味の深い近衛公爵の説明を私に伝えた。この情勢は極度に劇的で、将来日本歴史の本当に重要な時として認められるようになるだろう。だが、それからどういうことが起るか、神のみが知り給うのである。われわれは午前10時、国務省あてに現関東軍司令官梅津(注:美知郎)将軍が首相の候補者であるらしいという電報を打ったが、午後5時、前陸相の東条(注:英機)将軍が選ばれて首相、陸相、内相を兼職するだろうという報告をした。東条はこの春松岡の反対を押切って米国との会談を開くことを支持した近衛内閣の最初の5閣僚の一人である。これは重要な事実である。>
以下、東条に関する記事がつづき、興味津々であるが、以上の日記を一べつしただけでも、グルー大使の日本観(論)は、さすが滞日10年のキャリアが物言うだけのことがあり、かつ、それだけでない見識、人柄の片鱗をうかがうに十分である。グルーは戦後一早く米国の知日派、親日派を糾合して「米対日協議会」(本欄投稿341号拙稿)を設立し、占領政策の是正に奔走し、日本側の健全な同志たちとタイアップし、日本の自主独立に協力した。その活動ぶりは、「逆コース」の名で批判されたが、事実が物を言った。次回に紹介したい。
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