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2006-07-13 13:13
東ティモール問題の教訓
沢田ゆかり
NGO職員
東ティモールは2002年に長年のインドネシア支配から独立を果たしたが、その独立を支援していた国連平和維持部隊(オーストラリア軍が主体)が2005年に撤収するや、治安は急速に悪化し、ついに2006年5月末には東ティモール政府の要請でオーストラリアを中心とした各国の軍が鎮圧にのりだす事態となった。アナン国連事務総長は「我々は紛争地域から早く引き揚げ過ぎた」と語り、オーストラリアのハワード首相は「無理に独立を急ぎすぎた」と語ったが、この東ティモール問題の推移は何を語っているのであろうか。その問題を考えてみたい。
まず、東ティモールはポルトガルの植民地になった16世紀以降、一度も独立国として存在した経験がなかった。東ティモールは多人種・多言語の社会であり、地域間の反目も強い。「国家」や「国民」という意識は希薄であり、ナショナル・アイデンティティも確立していなかった。近代独立国家として独り立ちするには、国家建設の基盤そのものが脆弱だったのである。長年インドネシアに支配されていた東ティモール経済の構造は原始的で、グローバル化の進む国際経済において他国との競争に打ち勝って、生き残ってゆく条件は存在していなかった。
国連東ティモール暫定統治機構は、東ティモールに先進国型民主主義にならった統治モデルを導入したが、同国の政治および経済基盤は未成熟であり、そのような統治モデルを受け入れる国民の用意はできていなかった。まさにハワード首相の言葉どおり「無理に独立を急ぎすぎた」のである。独立するためには、それなりの一定の条件を整備することが前提になる。それなしに独立すれば、混乱が生まれ、内戦に逆行することさえある。今後東ティモールのような国を国際社会が支援する場合には、「独立を急ぐ」のではなく、独立の条件が整うまで長期化を覚悟して、その国づくりを支援し続ける覚悟をしなければならない。
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