「『吉田ドクトリン』に代わるもの」日本国際フォーラム理事長 伊藤憲一

すでに賞味期限が切れた

  1946年の新憲法と1951年の日米安保条約は、独立国日本が当時自由に選び取った路線選択の結果ではなかった。それは、米国、あるいは当時の国際社会から与えられた、被占領国日本の主権回復の条件であった。このような状況のなかで、当時の日本の指導者は、国民に対し非武装中立路線(社会党などの野党)と軽武装経済優先路線(自民党)の二つの選択肢を提示した。
  国民は前者を退け、後者を選んだが、この選択は日本に世界のだれもが予想しなかった「経済大国」化という大成功をもたらした。私は「吉田ドクトリン」とも呼ばれるこの路線の成功を、それなりに評価するものであるが、同時にそれが失ったものもあったことは、認めざるを得ない。吉田自身が、このいわゆる「吉田ドクトリン」を一時の方便と考えていた節がある。
  いずれにしても、世界に占める日本の立場は、この半世紀の間に「被占領国」日本から「経済大国」日本に変貌を遂げた。そして世界自身も、米ソ二大陣営の対立する「冷戦時代」から「ポスト冷戦時代」を経て、「ポスト・ポスト冷戦時代」とも呼ぶべき新しい時代に変遷を遂げた。
  このような21世紀の巻頭にあたって、いわゆる「吉田ドクトリン」の賞味期限がもはや過ぎ去ったことを指摘するのは、あまりにも当然のことと考える。問題はむしろ、われわれはそれに取って代わるなんらかの新しい「ドクトリン」を用意することができているか、ということであろう。

公共財としての日米同盟

  ソ連の崩壊は、それまで東側の「共産主義圏」と対峙していた西側の「民主主義圏」の政治・経済システムの世界的な拡大(いわゆるビッグ・バン現象)をもたらした。「民主主義圏」とは、なにか。それは、経済的にはコメコン体制(社会主義計画経済)と対抗してきたブレトンウッズ体制(自由主義市場経済)であったが、政治的にはワルシャワ条約機構(WTO)や中ソ同盟と対峙してきた北大西洋条約機構(NATO)や日米同盟であった。それは、外見的には対外同盟の形を採っていたが、本質的には内部的に戦争を放棄しあった「不戦共同体」(拙著『新・戦争論』)を形成していた。「プラハの春」を抑圧したWTOの「抑圧共同体」的体質と比較してみれば、そのことは自明である。
  そのような「民主主義圏」の体制が世界を主導する体制となったことこそが、冷戦の終焉の最大の意味である。日本は、幸いにもこの体制の不可分かつ中心的な一部である。この天与の事実を原点に捉え、この体制の強化と拡大に努めることこそが、日本の根本的な国益である。そのことを認識して、日本は初めてその「ドクトリン」を形成することができる。
  冷戦終焉の直後に、一時期「これで、世界は永久平和の楽園になった」との幻想が広まったが、この幻想は、まもなく始まった「破綻国家」(ルワンダ、セルビアなど)のジェノサイドや「ならず者国家」(サダム・フセインのイラク)の隣国侵略や、そしてなによりも「国際テロリスト」(アルカーイダ)の9・11テロによって、粉々に打ち砕かれた。
  それとともに、国際社会、とくに「民主主義諸国」は、世界の安全保障は、どんな遠隔の地の出来事であっても、各国共通の関心事であるとの認識を強めるようになった。NATOや日米同盟は、加盟国の国土防衛だけでなく、地域あるいは世界の平和と安定にも貢献すべき「公共財」である、と宣言されるようになった。

能動的平和主義へ転換を

  これまでの日本の平和主義は、自国が加害者にならなければ「それでよし」とする平和主義であったが、これからの日本に求められる平和主義は、それだけでなく、地域や世界の平和と安定にも積極的に貢献する平和主義である。日本の平和主義は「消極的平和主義」「受動的平和主義」から「積極的平和主義」「能動的平和主義」への転換を求められている。
  いわゆる「吉田ドクトリン」の下においては、国土防衛の意識しかなく、それも他国である米国に「守ってもらう」という意識が先行していた。地域安全保障については、ようやくいわゆる「周辺事態」への責任感が生まれつつあるのみで、ましてグローバル安全保障となると、「米国に言われるから」「米国への付き合いとして」やる、という域を出ていない。そこには世界全体の平和と安定から裨益している経済大国日本としての、世界市民的な責任感や使命感は不在である。地域安全保障やグローバル安全保障は、日米安保条約の有無にかかわらず、日本として主体的に判断し、対応すべき性質のものである。それは決して「米国に言われるから」、「米国への付き合いとして」やるものではない。明年は日米安保条約改定の50周年であるが、「吉田ドクトリン」に代わる新しいドクトリンとして、私は「積極的平和主義」の旗を掲げることを、提案したい。


[産経新聞2009年7月16日号『正論』欄より転載]

伊藤憲一(日本国際フォーラム理事長) 伊藤憲一  日本国際フォーラム理事長
 1938年東京生まれ。1960年一橋大学卒業後、外務省入省。在ワシントン日本大使館一等書記官、アジア局南東アジア第一課長歴任後退官。日本国際フォーラムの創設に参画し、1990年より理事長。青山学院大学名誉教授、グローバル・フォーラム執行世話人、東アジア共同体評議会議長を兼任。