「私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことを覚えております。その時からずっと、(中略)日本国民に対する深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。
いかなる国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私は、そう確信しております」
さる11月17日、国賓として訪日されたブータンのジグミ・ケサル・ナムギュル・ワンチュック国王が衆議院本会議場で行った感動的な演説の1節である。(側点は筆者)
国王の子供たちへのメッセージも出色であった。慰問に訪れた福島県相馬市立桜丘小学校の5~6年生に対し、話された。
「龍が存在すると思っている人は手を挙げて下さい。ありがとう。では、龍の存在を信じない人は?ありがとう。私は見たことがあります。(中略)龍は私たち一人一人の中に存在します。ブータンの子供たちには、自分の龍を養いなさい、管理しなさいと言っています。私たちの中に、人格という龍が住んでいるのです。年をとって経験を積むとその龍も大きく、強くなっていく。大事なことは、自分の感情とか、湧いてくるものをコントロールすることです。」
ちなみに、ブータンは「雷龍の国」(Druk Yu)であり、橙と赤が斜めに仕切る国旗の中央に登り龍が描かれている。
筆者は、1998年から2002年まで駐インド大使であったが、同時に駐ブータン大使を兼任し、何度も訪れた。日本大使としては5年弱という最長の任期であったので、普通はなかなか訪れることがない東部まで訪問した。先代第4代ジグミ・シゲル・ワンチュック国王の時代であった。第4代国王は、王制から立憲君主制へ国体を変えることを決意し、2005年に初めて国会議員の総選挙を行った。さらに、いまだ壮健でありながら、2006年に皇太子に禅譲した。ブータンは、新王の下で2008年に王制から立憲君主制になった。
先代国王は、人格、識見ともに大変優れた方である。ブータンを訪れるたびにお会いしたが、公式な予定が終わると別室に筆者を呼び込んで、サシで1時間以上も、国際情勢や国の行く末について信条を吐露されるのであった。新国王が若いながらもその立ち居振る舞いや言葉が立派なのは、帝王学よろしきを得たこととDNAのしからしめるところだろう。もっとも、日・ブータン友好協会主催の歓迎レセプションの席上、「自分は日本人が大好きなので皆様一人一人を抱きしめたいのだが、多すぎて出来ない。王妃を抱きしめることでそれに代えたい」といたずらっぽく言われて、王妃をハグされたのは、ブータン流とは言えない。ボストンとオックスフォードへの留学の影響だろう。
ブータンは、訪れるたびに気持ちがほっとし、心が洗われる国である。ブータン人は、男性はゴ、女性はキラと称する素朴な国民服を着るが、ゴはかつて日本人が来ていた「どてら」に似ている。顔つきも、日本人に似ている。子供たちもゴやキラを着ている。坊主刈りでゴを着た通学途次の男の子とすれ違うと、小学校時代の自分を見るような錯覚に陥ったものだ。
外見だけではない。訪日した国王が身をもって示したように、ブータン人は、素朴、謙虚、正直、勤勉などなど、かつての日本人とそっくりである。「かつて」と書くのは、残念ながら多くの日本人がこれらを失っているからだ。
先代国王は、国民にとって重要なのは国民総生産(GDP)ではなく国民総幸福(GNH,グロス・ナショナル・ハピネス)であると喝破した。実際、ブータン人は95%以上が幸福と思っている。ブータンは物質的には途上国ではあるが、精神的には先進国なのだ。
ブータンは、九州ほどの国土であるが、全土を豊かな森林が覆っている。緯度的には沖縄ぐらいであるが、首都ティンプーは海抜2500メートル前後であるので、気候は温帯に近い。国土は東西に長く、北のヒマラヤから南のインド・アッサム平原へと下っている。東西を結ぶ道路は、中央部を貫く1本のみ。丘陵の中腹に沿ってくねくねと曲がり、あるときは川に沿い、あるときは3000メートルの峠を越えて東西を結ぶ。南北方向に走る数本の国道は、すべて北から南に流れる川に沿って蛇行している。
ブータンは、南で国境を接するインドとは友好的で関係が深いが、北に接する中国に対しては警戒的である。政治的・文化的影響力を危惧してか、欧米の小国には友好的だが、大国とは距離を置く。
筆者は、国王への信任状捧呈を含め8回ほど訪問した。首都ティンプーからもっとも東部の町タシガンに行くために、3000メートル級の峠をいくつも越え、途中2泊を要した。もっとも、途中の景色や町に魅かれてたびたび途中下車したからではあるが。東西の国道は東に行くにつれ険しくなるが、多くの橋を渡らざるを得ない。わが国は、主要な橋を架け替える無償援助を行った。また、同じく無償援助にて全国的な通信網を建設したが、昔は飛脚よろしく郵便配達人が何日もかかったのに、あっという間で電話で通じるようになった。また、筆者が在任中には、テレビ局も日本の援助で発足した。今日では、これらのネットワークを利用したインターネットも広がっている。
しかし、ブータンにとって何よりも貴重な支援は、1964年以来、西岡京治農業専門家が行った農業改革であった。西岡氏は前近代的であったブータンの農業に日本のやり方を導入し、画期的な農業生産の増大と農民の生活水準の向上に貢献した。その功績により、外国人で唯一初めて、ダッショーの称号を国王から与えられた。これは、中央政府の各省次官や県知事に与えられる称号兼勲章であり、大臣クラスに与えられるリョンポに次ぐものである。今日では、西岡氏の弟子たち、更に孫弟子たちが全国に散らばり、農業に貢献している。
今回の訪日で、ワンチュック国王と王妃は、新婚早々の仲睦まじさを見せて日本人の共感を買ったが、それ以上に日本人を感動させた。東日本大震災と福島第1原発事故の後、国際社会は、わが国に対し多くの支援と激励を寄せた。しかし、日本と日本人への深い友情と信頼感をこれほど雄弁に述べた賓客があっただろうか。また、国王は、国会での演説のほか宮中晩餐会スピーチでも、わが国が長年にわたるブータンへの援助に対する感謝の言葉を連ねた。被災地を訪れた国王夫妻は、そのために随行させたブータンのナンバー2の高僧以下が読経する中、祈りをささげた。若い国王であるが、その発信力と人を感動させる能力は世界一級である。
[「自警」2012年1月号「日本から見た世界 世界から見た日本 第10話」より転載]
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平林博 日本国際フォーラム副理事長
1940年東京生まれ。東京大学卒業後、1963年外務省入省。1991年から2007年までに、在米国日本大使館経済公使、次いで同大使館特命全権公使、外務省経済協力局長、総理官邸の内閣外政審議室長、駐インド特命全権大使、駐フランス特命全権大使、査察大使をそれぞれ歴任。現在、グローバル・フォーラム有識者世話人、東アジア共同体評議会常任副議長、日印協会理事長等を兼任。 |
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