『米ニュージャージー州の日本人学校が中学校の公民の授業で、竹島(韓国名独島)を「韓国が不法に占拠している」と記述する教科書を使用して「偏向した見解」を教えているとして、韓国系米国人の実業家の男性が教科書の使用中止を求める法的文書を同校などに送付していたことが明らかになった。男性は州当局にも補助金の支出停止を要求、訴訟に発展する可能性もある。在米韓国サイドの半日プロパガンダ(宣伝)に、邦人社会の反発が強まりそうだ』(10月10日付産経新聞第3面)
  竹島については、ここ1~2年、韓国世論はもとより韓国政府や国会議員までもが施設の増強や各種の訪問など実効支配を強化する動きを加速させてきたが、「ついに米国にも及んだか」の感がある。

  韓国は、日本海の呼称問題でも攻勢をかけている。韓国は、1992年に開催された国連地名標準化会議において初めて、日本海を「東海」と変更すべしと主張し、以来、国際的なキャンペーンを続けている。日本海は、日本が韓国を植民地にした結果であるとの主張だ。しかし、日本海の呼称は、欧米では17世紀にもさかのぼり、また国連やIHOでも長年にわたり確立した呼称である。韓国も、海路や世界の海の呼称を決める国際水路機関(IHO)に1957年に加盟して以来1986年までは、「日本海」の単独表記に同意していた。韓国は、「東海」への変更が難しいとわかると、日本海と「東海」双方の併記を主張し始めた。
  IHOはモナコに本部があるため、筆者が駐仏大使であった頃、何度か訪問し日本の立場を伝えたが、今日でもIHOは意見を変えていない。ちなみに、米国、英国などの欧米諸国も中国も、「日本海」を支持している。本年8月、米国政府はあらためてIHOに対し「日本海」を単独表記することが望ましいとの公式見解を提出し、IHOのウェブサイトにも掲載された。国務省の記者会見でも、国際的に認知された「日本海」を使用すると明言した。
  米国において、日本が標的にされた例として、慰安婦問題がある。2007年6月、米国下院外交委員会、次いで下院本会議において、「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」が可決された。この決議は、カリフォルニア州で中国系および韓国系米国人の多い選挙区出身の日系のマイク・ホンダ下院議員が推進したが、これは衝撃であった。同種の決議は過去5回提出されたがいずれも否決された。2007年の本会議可決は、共同提案者168名であったが、実際の出席者はたった10名、反対意見が出なかったので採択された。決議には拘束力はない。
  ちなみに、いわゆる「従軍慰安婦」にさせられたと称する15人の中国・韓国女性が米国で提起した訴訟があったが、2006年、米国最高裁判所で最終的に却下された。法的には、米国でも決着だ。

  筆者が在米国日本大使館のNo.2の特命全権公使をしていた1990年代前半、日系米国人の代表たちと何回かお会いした。日系米国人は、米国社会の中で政界では上院議員やハワイ州知事、医者・弁護士などの自由業、科学技術方面で成功し、いわばエスタブリッシュメントとなっていた。他方、中国、韓国、ベトナム、フィリピンからの移住者や難民が急増し、米国社会に入り込もうと必死の努力をしていた。アジア系米国人は、教育熱心で勤勉であり、団結力も強い。相互扶助し団結して米国内での主張を高め、その要求を貫徹しようと傾向は、特に韓国系やインド系に強い。
  筆者は、日本以外のアジア系米国人の影響力はいずれ政治的にも大きくなると予想し、彼らが日本とそれぞれのアジア諸国との軋轢を米国社会の中で提起するであろうことを予見した。この予見は、不幸にして当たったのである。

  慰安婦問題を含め法的責任や賠償問題(韓国については戦争をしたわけではないので請求権問題)は、中国については1972年の国交正常化に際しての日中共同宣言で、また韓国については1965年の日韓基本条約で決着がついている。
  法的には解決しているが道義的観点から何かをしたいと考えた日本政府は、1991年から調査を行い、1993年の村山富市内閣時代、河野洋平官房長官談話にて、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけたとして、お詫びと反省の気持ちを表明した。1995年には、元慰安婦たちに対する「償いの事業」を行うために、「女性のためのアジア平和国民基金」(通称アジア女性基金)を発足させた。筆者は、村山内閣、次いで橋本龍太郎内閣で内閣外政審議室長兼総理府外政審議室長であったが、後者の仕事の一つは、アジア女性基金に集まった有識者とともに元慰安婦に支給するための国民的な募金運動に奔走し、また各国に対する政策の策定に関与することであった。日本政府とアジア女性基金の努力の結果、フィリピンや韓国の元慰安婦のうち相当数の方々が償い金を受け取った。お金だけでは誠意がないと考えられたので、橋本首相からの署名入りの手紙を添えた。もっとも、韓国においては、あくまでも日本政府による「法的な賠償」を要求し、日本国民の善意の「償い金」は受け取れないとする元慰安婦や支援者が少なくなく、受け取った元慰安婦たちは、彼らの反発をおそれてこっそりと受け取った。
  韓国と対照的であったのは、他のアジア諸国であった。フィリピン政府は協力的であったし、インドネシアでは、先方の政府の意向で、直接的な元慰安婦対策というよりは女性の高齢者対策の意味も込めたプロジェクトを推進することになった。中国政府からは、元慰安婦についての要求はなかった。大国のプライドもあろうかと想像した。「アジア女性基金」は、インドネシア事業が完成した2006年に解散した。
  最近に至り、日韓基本条約は元慰安婦問題をカバーしていないとの判断の下に、韓国政府は日本に対し問題を蒸し返しつつあるようだ。さらに、ソウルにある日本大使館の門前に「慰安婦の碑」を建立しようとの動きがある。筆者も一度目にしたことがあるが、毎週水曜日、日本大使館の前には元慰安婦数名(年々減少)とその支持者が何人か集合し、日本大使館に対して法的補償と謝罪を求めるデモを行ってきた。今度は、大使館の門前に碑を立てようというわけである。

  世界の主要国20に入り(G20)、国連事務総長まで出すようになった韓国が、こと日本になると嫌になるほど強硬策を出してくる。韓国が日本に対し怨念を払拭するのはいつになるのであろうか?韓国においては愛国運動や韓国版の歴史教育がおこなわれてきたために、怨念は世代を超えて引きつがれている。韓流ブームとこれに対する韓国での日流ブームがさらに進展することを願ってやまない。日本に来訪し、日本人を知れば、嫌日感情も是正されると思うからである。
  それにしても、日本政府は韓国に対し、友好は友好、しかし尊厳や主権を守るとの決意が必要である。逆説的だが、韓国政府を見習うべきだ。

[「自警」2011年11月号「日本から見た世界 世界から見た日本 第8話」より転載]

 

平林博(日本国際フォーラム副理事長) 平林博  日本国際フォーラム副理事長
 1940年東京生まれ。東京大学卒業後、1963年外務省入省。1991年から2007年までに、在米国日本大使館経済公使、次いで同大使館特命全権公使、外務省経済協力局長、総理官邸の内閣外政審議室長、駐インド特命全権大使、駐フランス特命全権大使、査察大使をそれぞれ歴任。現在、グローバル・フォーラム有識者世話人、東アジア共同体評議会常任副議長、日印協会理事長等を兼任。


 ■「日本から見た世界 世界から見た日本」

  第14話「欧州に学ぶ選択的外国人受入れ政策」 (『自警』2012年5月号)
  第13話 「フランスの王位継承ルール」 (『自警』2012年4月号)
  第12話 「興隆・復権する世界の親日国」 (『自警』2012年3月号)
  第11話 「出でよ、平成の龍馬」 (『自警』2012年2月号)
  第10話 「ブータン国王が巻き起こした感動の渦」 (『自警』2012年1月号)
  第9話 「11月は首脳外交の季節」 (『自警』2011年12月号)
  第8話 「対日攻勢をかける韓国」 (『自警』2011年11月号)
  第7話 「国益は首脳の資質にあり、(その2)国家の命運を決める首脳外交力」 (『自警』2011年10月号)
  第6話 「国益は首脳の資質にあり、(その1)影の薄い日本の首相たち」 (『自警』2011年9月号)
  第5話 「世論調査に見る日本の国際的評価」 (『自警』2011年8月号)
  第4話 「国際化する日本の警察」 (『自警』2011年7月号)
  第3話 「世界で高い評価、日本のODA」 (『自警』2011年6月号)
  第2話 「3・11と日本人への高い評価」 (『自警』2011年5月号)
  第1話 「日本に学べ」 (『自警』2011年4月号)